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井関邦三郎
1899年(明治23年)生まれ
北宇和郡三間村(現宇和島市三間町)出身
「私は機械を作る上において一つの信念をもってまいりました。
それは『使う身になって造る』ということです。
この方針で研究には常に意を注ぎ、より優秀で、より低廉にと心がけているのです。
商売をするには、どうしてもこういった心構えが大切で、そこに信念が生まれ、事業の発展が約束されているのではないかと思います。」
当初、郷里で大野式除草機の販売を始めていましたが、後に高性能の全自動籾すり機の製造・販売を松山で開始し、井関農機の基礎を造りました。
戦後の農業機械化ブームにのって、耕耘機・コンバイン・トラクタ・田植機を次々に開発して井関農機を我が国を代表する総合農機メーカーに育て上げました。
愛媛県工業クラブ会長・松山市商工会議所会頭・愛媛県経営者協会会長・済美学園理事長などを歴任し、地域の発展に貢献しました。
その他、萬翠荘の菊花展・バラ展や囲碁の普及にも尽力しました。
故郷に対する支援も惜しまなかった邦三郎。
宇和島市三間支所には胸像、務田公民館には記念碑が建立され、功績が語り継がれています。
紫綬褒章・紺綬褒章・愛媛県教育文化賞らに加え、勲三等旭日中綬章を授賞、没後従四位に叙せられました。昭和44年には、三間町初の名誉町民となりました。
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畦地梅太郎記念美術館
井関邦三郎記念館
〒798-1114
愛媛県宇和島市三間町務田180-1
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Mail:azech-mui@city.uwajima.lg.jp
休館日:火曜日
(祝休日の場合は翌平日)
1月1日
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開館時間:9時-17時
(受付終了:16時30分)