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畦地梅太郎は、1902年愛媛県北宇和郡二名村(現在の宇和島市三間町)に生まれ、1999年96歳の生涯を閉じた版画家。
10代で上京して油絵を独習、やがて創作版画家として全国の山々や山男をモチーフに独自の世界を確立します。生あるものすべてに愛の眼差しを注いだ梅太郎の詩情豊かな版画作品は国内外の多くの人に高く評価され、親しまれています。また、その人柄から生まれた優しさとぬくもりのある随筆集も多くの愛読者から親しまれています。
1976年には日本版画協会名誉会員となり、1986年には三間町名誉町民に、1998年には町田市名誉市民になりました。
畦地芸術の魅力について、町田市立国際版画美術館の河野実氏は次のように述べておられます。
『版画家畦地梅太郎は、情感あふれる「山」「山男」を描き続けた作家としてよく知られている。畦地が描く「山」「山男」シリーズの作品は、私たちを和ませてくれるばかりか、優しく私たちを包んでくれる。しかし、畦地が描く「山」「山男」の中には凝縮されている強い意思表示がある。それは、人として生きていく中で係わってきた社会との間に横たわる矛盾を封じ込めているということである。そして、それを直截的に感じさせず、詩情豊かに描ききっているところに畦地の人柄と畦地芸術の魅力があるといえる。」と・・・
『いつも郷里の山河のたたずまいが頭の芯にしみこんでいたものか、私は、山を歩き山の版画を作るようになった。戦後は、単なる山の景色を描くことのむなしさを思うようになり、私の心の山男を描き版画に作るようになった。』
畦地梅太郎
「大野原遠望」1940年
「親子鳥」1955年
「白い像」1958年
「大空」1971年
「老登山家」1978年
「石鎚山」1985年
畦地梅太郎最後の版画作品とされている「石鎚山」は
愛媛県県民文化会館(ひめぎんホール)サブホールの緞帳の原画として制作されたものです。