ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

美術館・記念館 畦地梅太郎のあゆみ

印刷用ページを表示する 記事ID:0040877 更新日:2020年4月26日更新

梅太郎のあゆみ

1902年 12月28日 愛媛県北宇和郡二名村(現在の宇和島市三間町)に生まれる。(明治35年)
1918年 故郷を出る。上京途中、大阪で長兄に勧められて中国航路の貨物船で働く。(16歳)
1920年 上京。新聞配達・配送などの仕事をしながら正則英語学校に通う。
1922年 画家になることを志して、日本美術学院油彩画の通信教育を受け始める。(20歳)
1926年 内閣印刷局に勤務しているとき、鉛版による版画を試みる。
この版画を平塚運一に見てもらう。平塚は作品を高く評価し、版画を続けるよう激励した。
この頃から、平塚運一の指導、恩地孝四郎の影響を受けながら版画の道に入るようになる。(24歳)
1927年 日本創作版画協会展に初出品し、入選。
内閣印刷局の仕事を辞め、先輩版画家の摺りを手伝うことなどの仕事を手がける。
1930年 第2回内国美術展で国際賞受賞。第11回帝展への出品を果たす。
1932年 日本版画協会の会員となる。
1933年 棟方志功・谷中安規ら8人と春秋会を結成。
1936年 最初の自摺版画集「伊予風景」の頒布を行う。
1937年 国画会第12回展での国画奨学賞受賞。
1940年 国画会第15回展で2度目の国画奨学賞受賞。
山の表現に新しい手法を見出す。
1952年 国画会秋季展に初めて山男像の作品を発表する。
1953年 第2回サンパウロ・ビエンナーレに日本代表として出品。
宇和島市立図書館が、第1回畦地梅太郎版画展を開催。
1955年 斎藤清・駒井哲郎らと現代版画5人展を開催。
1956年 第4回スイス・ルガノ国際版画ビエンナーレに招待出品。
1957年 第1回東京国際版画ビエンナーレに出品。
スイス・シクロン国際木版画トリエンナーレに出品。
第4回サンパウロ・ビエンナーレに出品。
1962年 第3回東京国際版画ビエンナーレに招待出品。
1965年 米国カリフォルニア州サンタマリア市で個展開催。
1966年 スイス・ジュネーブの「日本現代版画」展に出品。
1973年 「とぼとぼ50年 畦地梅太郎展」を愛媛県美術館で開催。
1976年 日本版画協会名誉会員となる。母校二名小学校に畦地梅太郎の顕彰碑建立。
1985年 愛媛県教育文化賞受賞。愛媛新聞社賞受賞。
1986年 三間町名誉町民となる。
1988年 南海放送サンパーク美術館・畦地梅太郎記念美術館開館。
1991年 町田市立国際版画美術館が「畦地梅太郎版画展」を開催。
1993年 よんでん芸術文化賞受賞。
1998年 東京都町田市名誉市民となる。
1999年 南海放送サンパーク美術館が「とぼとぼ96年畦地梅太郎展」を開催。
4月12日 肺炎のため死去。
   
  2000年 サンパーク美術館が回顧展を開催。
  2001年 町田市立国際版画美術館が「生誕百年記念畦地梅太郎展・山のよろこび」を開催。
  2002年 サンパーク美術館が「生誕百年記念展」を開催。
  2003年 愛媛県北宇和郡三間町(現在の宇和島市三間町)に畦地梅太郎記念美術館開館。
  2009年 愛媛県美術館が「畦地梅太郎展 山のいのち、人のぬくもり」を開催。
  2019年 町田市立国際版画美術館が「畦地梅太郎・わたしの山男展」を開催。
  2020年 愛媛県美術館が「没後20年 畦地梅太郎 山のなか 本のなか」を開催。

みちのえき みま

井関邦三郎記念館
交通案内

このページに関するお問い合わせ先
畦地梅太郎記念美術館
井関邦三郎記念館
〒798-1114
愛媛県宇和島市三間町務田180-1
Tel/Fax:0895-58-1133
Mail:azech-mui@city.uwajima.lg.jp
休館日:火曜日
    (祝休日の場合は翌平日)
     1月1日
    ※臨時休館 有り
開館時間:9時-17時
    (受付終了:16時30分)