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1902年 | 12月28日 愛媛県北宇和郡二名村(現在の宇和島市三間町)に生まれる。(明治35年) | |||
1918年 | 故郷を出る。上京途中、大阪で長兄に勧められて中国航路の貨物船で働く。(16歳) | |||
1920年 | 上京。新聞配達・配送などの仕事をしながら正則英語学校に通う。 | |||
1922年 | 画家になることを志して、日本美術学院油彩画の通信教育を受け始める。(20歳) | |||
1926年 | 内閣印刷局に勤務しているとき、鉛版による版画を試みる。 この版画を平塚運一に見てもらう。平塚は作品を高く評価し、版画を続けるよう激励した。 この頃から、平塚運一の指導、恩地孝四郎の影響を受けながら版画の道に入るようになる。(24歳) |
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1927年 | 日本創作版画協会展に初出品し、入選。 内閣印刷局の仕事を辞め、先輩版画家の摺りを手伝うことなどの仕事を手がける。 |
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1930年 | 第2回内国美術展で国際賞受賞。第11回帝展への出品を果たす。 | |||
1932年 | 日本版画協会の会員となる。 | |||
1933年 | 棟方志功・谷中安規ら8人と春秋会を結成。 | |||
1936年 | 最初の自摺版画集「伊予風景」の頒布を行う。 | |||
1937年 | 国画会第12回展での国画奨学賞受賞。 | |||
1940年 | 国画会第15回展で2度目の国画奨学賞受賞。 山の表現に新しい手法を見出す。 |
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1952年 | 国画会秋季展に初めて山男像の作品を発表する。 | |||
1953年 | 第2回サンパウロ・ビエンナーレに日本代表として出品。 宇和島市立図書館が、第1回畦地梅太郎版画展を開催。 |
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1955年 | 斎藤清・駒井哲郎らと現代版画5人展を開催。 | |||
1956年 | 第4回スイス・ルガノ国際版画ビエンナーレに招待出品。 | |||
1957年 | 第1回東京国際版画ビエンナーレに出品。 スイス・シクロン国際木版画トリエンナーレに出品。 第4回サンパウロ・ビエンナーレに出品。 |
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1962年 | 第3回東京国際版画ビエンナーレに招待出品。 | |||
1965年 | 米国カリフォルニア州サンタマリア市で個展開催。 | |||
1966年 | スイス・ジュネーブの「日本現代版画」展に出品。 | |||
1973年 | 「とぼとぼ50年 畦地梅太郎展」を愛媛県美術館で開催。 | |||
1976年 | 日本版画協会名誉会員となる。母校二名小学校に畦地梅太郎の顕彰碑建立。 | |||
1985年 | 愛媛県教育文化賞受賞。愛媛新聞社賞受賞。 | |||
1986年 | 三間町名誉町民となる。 | |||
1988年 | 南海放送サンパーク美術館・畦地梅太郎記念美術館開館。 | |||
1991年 | 町田市立国際版画美術館が「畦地梅太郎版画展」を開催。 | |||
1993年 | よんでん芸術文化賞受賞。 | |||
1998年 | 東京都町田市名誉市民となる。 | |||
1999年 | 南海放送サンパーク美術館が「とぼとぼ96年畦地梅太郎展」を開催。 4月12日 肺炎のため死去。 |
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2000年 | サンパーク美術館が回顧展を開催。 | |||
2001年 | 町田市立国際版画美術館が「生誕百年記念畦地梅太郎展・山のよろこび」を開催。 | |||
2002年 | サンパーク美術館が「生誕百年記念展」を開催。 | |||
2003年 | 愛媛県北宇和郡三間町(現在の宇和島市三間町)に畦地梅太郎記念美術館開館。 | |||
2009年 | 愛媛県美術館が「畦地梅太郎展 山のいのち、人のぬくもり」を開催。 | |||
2019年 | 町田市立国際版画美術館が「畦地梅太郎・わたしの山男展」を開催。 | |||
2020年 | 愛媛県美術館が「没後20年 畦地梅太郎 山のなか 本のなか」を開催。 |