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宇和島伊達家2代宗利が寛文6年(1666)頃に改修、3重3階総塗籠式(そうぬりごめしき)、層塔型(そうとうがた)の天守です。
改修とありますが、実際には藤堂高虎が岩盤上に建築した望楼型天守を撤去して石垣の天守台を持つ当時の最新式の層塔型天守に新造したといっても過言ではありません。
各階の装飾性の高い破風(はふ)や懸魚(げぎょ)などから太平の世を象徴するものとして評されるとともに、小さいながらも御殿建築の意匠が随所に見られ、非常に格式を重んじた造りとなっています。
万延元年(1860)、昭和35年(1960)に大修理を受けていますが、昔の姿を今もなお伝えています。
高さ | 15.72m(礎石~大棟) |
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面積 | 212.75平方メートル(1階軒面積) |
(1)軒唐破風 | (5)長押(なげし) |
(2)武者窓 | (6)犬走 |
(3)懸魚 | (7)天守台 |
(4)千鳥破風 |
現在の天守は寛文6(1666)年頃に完成しましたが、万延元(1860)年に大規模な修理を行っています。この天守雛形はその修理に際して作られたことが天守1階の繋ぎ梁に打ち付けられている木札に記されています。非常に精巧に作られており、単純な大きさだけでなく柱の太さに至るまで1/10スケールで作られています。天守などの雛形が残るところは他にも見られますが、宇和島城では天守・雛形ともに江戸時代のものが残り、かつ雛形の制作年代がはっきりとしている点で非常に珍しく、貴重なものとなっています。