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宇和島城(城山)について

印刷用ページを表示する 記事ID:0058959 更新日:2021年3月24日更新

南国の伊達 宇和島伊達家9代の居城

宇和島城天守井戸丸石垣

 ”伊達十万石の城下町”と呼ばれ、江戸時代から四国西南地域の中心として発展してきた宇和島市は、日本屈指のリアス海岸地帯にあります。城はその最深部、現市街地のほぼ中央にあり、慶長元~6年(1596~1601)の藤堂高虎創建時には大半が海に面する地形を巧みに活かした縄張となっていました。その後、慶長20年(1615)に伊達政宗の長男秀宗が宇和郡10万石を拝領して宇和島城へ入城、ここに宇和島伊達家が誕生します。

 2代宗利は寛文元~12年(1661~1672)にかけて城を大改修し、多くの石垣や櫓を修築。現存12天守となる天守は、この宗利の手によるもので、藤堂高虎が岩盤上に建造した望楼型天守から、当時最先端の石垣造りの天守台をもつ層塔型天守へと変貌を遂げました。

 その後、明治を迎えるまで、9代(3代宗贇、4代村年、5代村候、6代村寿、7代宗紀、8代宗城、9代宗徳)にわたって、宇和島伊達家の居城としてあり続けます。

 現在、堀はすべて埋められ、三之丸をはじめ総郭部分約28万平方メートルは失われてしまいましたが、本丸・二之丸などの郭を含む約10万平方メートルの丘陵部は、戦前まで伊達家の手により保護、昭和9年(1934)に天守が国重要文化財、昭和12年(1937)に丘陵全体が国史跡の指定を受けます。そして、昭和24年(1949)に天守も含めて丘陵全体を宇和島市に譲渡され、昭和38年には南側登城口城門の上り立ち門が市指定文化財(昭和38年)に指定されました。

城山まっぷ

正徳元年(1711)の絵図や調査成果をもとに作成したものです。

城山まっぷ
城山まっぷ [PDFファイル/33.44MB]

お城下まっぷ

安政・文久頃(幕末)の絵図や現在の市街図をもとに作成したものです。

お城下マップ
お城下まっぷ [PDFファイル/3.6MB]

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