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付き合い始めて数ヶ月の早春、札幌のホテルのカフェ。 29歳の僕は、短大を卒業する20歳の君に「横浜へ転勤になる」と告げた。 僕が次の言葉を発する前に「ついていく」と言った君は、半べそで笑った。
あれから今年で30年。いつも僕の大好きな君の笑顔が一緒だ。 夫婦二人で、何度も転勤を繰り返し、不慣れな環境で様々な苦労も掛けた。 なかでも僕が一番辛かったことは、弟を亡くした時のこと。 新婚の、誰からもに愛される陽気な20台半ばの若者だった。 弟は新妻の隣で、睡眠中に突然息を引き取った。 茫然自失の私たち家族に、医師は原因は不明ですと苦し気に告げた。 あの時、君の支えがなければ、遺された義妹や両親、僕はどうなっていただろう?
10年ほどが過ぎ、40歳台も半ばを迎えた僕は定期の人間ドッグを受診した。 医師は僕と君に「家族に突然死した方はいませんか?ブルガダ症候群です」と 僕の心電図の特徴的な波形を指しながら告げた。 「若くして突然死することが多い。最近判明した、原因不明で治療法もない病気です」 どうやら僕は、亡くなった弟と同じ病気の因子を持っていたらしい。
君は不安な素振りは見せないで、明るく振舞ってくれている。 「確率は10数%くらいだろうか。ある日、僕は君の隣で、弟のように…」 僕はたびたび物思いをしながら、じっと君を見つめていたらしい。 「なんで、いつも私を見てるの?」とふいに君に問われた。 あわてて口をついて出てしまった僕の答えは「かわいいから…」 これがきっかけで、僕の中で何かが吹っ切れたようだ。 僕は、君に毎日30回以上は「かわいい」と言いはじめた。 「今日もかわいいね」「コーヒー淹れてくれたの、かわゆいね」 「かわいいから塩ラーメンにする?」等々、もはや意味不明になっている。 君には、「人前でこっぱずかしい!」「うるさい!」などと叱られている。 でもこれは僕が還暦を目前にして、君が50歳を超えた今も続いている。
僕が突然死した時、最後の言葉が喧嘩別れだと君に悔いが残る。 だから、僕は寝る前には必ず「今日もかわいかったね」そう言ってから眠る。 朝を無事に迎えた僕は「おはよう!今日もかわいいね!」そう言って起きる。 僕は勝手に、君に100万回「かわいい」と言ってから死ぬことに決めている。 だからこの先、君が60歳になっても、70歳になっても僕なりの愛の言葉を伝え続ける。 「(30年前のあの日から、いつも一緒にいてくれてありがとう)かわいいね!」 |
優秀賞を受賞されたご夫婦には、記念品として宇和島真珠製品と副賞として二度目のハネムーン(2泊3日宇和島観光旅行)を贈らせていただきました。
真珠ネックレス・ブレスレット
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この度のラブレターが良い機会となり、これからのお二人の人生が夢と希望に満ち溢れたものとなりますよう、心からお祈りしております。