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県指定 吉田秋祭の神幸行事

印刷用ページを表示する 記事ID:0029396 更新日:2018年11月8日更新

県指定無形民俗文化財練車

吉田秋祭の神幸行事 

  • 所在地 吉田町
  • 所有者
  • 指定日 平成三〇年二月二〇日

【参考資料など】
 ・吉田秋祭の神幸行事総合調査報告書(平成30年度/宇和島市教育委員会発行)【PDF】
 ・吉田秋祭の神幸行事伝統記録保存版ー普及編ー(令和2年度/吉田秋祭保存団体協議会作成)【Youtube動画】
 ・吉田ふれいあい国安の郷お祭り館展示

 吉田秋祭は、宇和島市吉田町立間の八幡神社の一一月三日秋季例大祭における神幸行事である。近世後期に成立した祭礼風流であるねり行列の形態を幕末期に描かれた複数の絵巻物で確認できる。この近世祭礼の姿が江戸時代と変わらない町割りの中において江戸時代後期から継承されていること、南予地方の祭礼に登場するねり物の要素が広範に含まれて構成されることが特徴である。おねりには、御船、練車、鹿の子、牛鬼、宝多、御用練りなどがある。牛鬼、鹿踊など南予地方独特のねりを見ることができる。贅を凝らした練車や立体刺繍の飾り幕は吉田町人の財力を物語るものである。練車の静的な運行に比べ、牛鬼や神輿のあり方は近代に大きく躍動化を遂げ、演じることを見せる祭りへの変化がうかがえる。行事の次第は左記のとおり。

一一月二日 例祭神事等 午後二時〜午後八時
 伊勢踊り(伊勢踊り保存会)、
 宵宮宝多(おねり保存会)
一一月三日 御幸祭 午前五時〜午後六時
 卯之刻相撲(卯之刻相撲保存会)、
 鹿の子(立間鹿の子保存会)、
 神輿(神輿奉賛会)、
 練車(おねり保存会)、牛鬼(牛鬼保存会)

伊勢踊り(伊勢踊り保存会)伊勢踊り

例祭神事が終ったのちに伊勢踊り保存会の一三人により演じられる。拝殿中央に太鼓演奏者が一人座り、その左右に六人ずつ計一二人が、手に御幣と歌詞の紙を持ち本殿に向かって立ち、伊勢踊りが始まる。太鼓の演奏に合わせ、踊り手は唄いながら足を交互に出し、調子をとり、神事参列者は踊りを見守る。踊りが終了すると、御神酒と御札が配られ、参列者は札を受けとり、例祭神事が終了となる。

宵宮宝多(宵宮宝多行事保存会)

 宵宮宝多は、各地区の子どもから大人が白装束の装いに宝多面を持ち、宵宮の晩に南山八宵宮宝多幡神社を参詣し、御神符を受けてそれを角に貼り、夜が明けるまで吉田の町を闊歩する徒歩練りである。しかし、徐々に宝多に扮する人も少なくなり、昭和の後半にはその姿は見られなくなっていたが、平成二七年度から吉田秋祭に復元復活した。
 一一月二日の宵宮の夕方に南山八幡神社に参詣し、その晩の数時間に活動してその日は解散、翌日一一月三日の秋祭り当日にはおねりの先触れである番外として練り歩きながら家々や商店をまわり、家内安全や商売繁盛を宝多の歯を打ち鳴らしながら祈願するものとなっている。

卯之刻相撲(卯之刻相撲保存会)卯之刻相撲

 一一月三日の早朝、午前五時より神輿への神霊奉遷に先立って神前に神事相撲が奉納される。これを「卯之刻相撲」と称している。
 儀式は拝殿上でおこなわれ、行司以下力士は、紋服に袴の正装で登場する。取組は三番、八幡様を中心に、東・西の地区の神様たちによっておこなわれ、三番目の大関同士が対戦している途中で行司が割って入り、「いずれも名人同士にて勝敗決せず、この相撲明年まで預り」の判定を下す。力士はいずれも神様なので勝負は決せず引き分けというわけで、毎年受け継がれ、いまだに預かりっぱなしで、これら一連の行事の後、祭りは本番となる。

鹿の子(立間鹿の子保存会)鹿の子

 大正時代以前の吉田祭りの絵巻には五ツ鹿が描かれているので、五ツ鹿から七ツ鹿へと変容したのは昭和初期頃と推定できる。鹿踊りは、宇和島・吉田をはじめ、南予の旧両藩領内でおこなわれているが、宇和島が八ツ鹿、吉田が七ツ鹿、その他はたいてい五ツ鹿であり、この鹿の数にも、宗藩・支藩の権威あるいは神社の社格が象徴されているようである。吉田では七ツ鹿踊りそのものを鹿の子と称しているが、特に立間の鹿の子は、素朴で力強く、しかも哀調をそこなわぬところ、南予随一の呼び声が高い。雄鹿が二頭、雌鹿が一頭、若鹿が二頭に小鹿が二頭の、つごう七頭によって踊られる。親鹿の吹く笛の音につれて、胸につるした太鼓の撥さばきもあざやかに、勢揃い、道行、踊り場への飛び込みと、しだいに魅せられてゆくうちに、小鹿をまじえての楽しい庭見、そして雌鹿をうばいあう雄鹿の競い合いと、踊りは高潮する。

おねり(おねり保存会)

 吉田祭りの屋台は古くは「ねり車」と表記し、「ねりぐるま」と読まれ、現在では「練車」と書くうになっている。この「ねり」の漢字の音読みは「レイ」で、訓読みは「おそい」となる。このことから􄥘車とは「ゆっくりと練る屋台」という意味であろうと推測される。
 吉田祭りのおねりの構成要素は、練り車・御船・四ツ太鼓の三種であり、七福神は古層のおねりを保っている。練り車の構造としては屋根付き二階建て四輪車である。二階に人形飾り、一階を幕で覆い、なかで囃子方が奏す屋台である。
 現在では、一一月三日の秋祭に練行列が行なわれ、御用錬り(御用錬り保存会)、御船一(吉田老人クラブ)、山車六(本町一・魚棚一・二・三・裡町一・二)、猿田彦・御神餅(裡町三)、鹿の子(立間)、牛鬼一(元町・鶴間・浅川)、神輿三体(立間)と続き、番外として四ッ太鼓一台(桜丁)、宵宮宝多(宵宮宝多行事保存会)が繰り出している。おねりの飾り幕は、文化庁の補助を得て新調され、昔を偲ぶ祭見物の客も一時より多くなってきている。

牛鬼(牛鬼保存会)牛鬼

 吉田では「うしょうに」または「うしょうにん」とも呼ばれる。吉田の牛鬼の本領はその暴れかたにある。俗に「吉田の暴れ牛鬼」と称されて有名であるが、これだけは他のどの地方にでも見られない壮絶なものであった。
 町内の各戸に首を突っ込み、悪魔払いをしてまわるが、御殿前・桜橋元・浜通りの三カ所では、神幸渡御の場を清めるために荒れ狂うのが例であり、この丁内、町並の家々いずれも丸太で柵を組み、家が壊されるのを防いだものであるが、旧宇和島城下周辺に見られる牛鬼にみられる子供の「ブーヤレ」などは一切なく、担い手は旧立間尻村にあたる元町・鶴間・浅川の自治会が交替でつとめる。

おねり


文化的景観
埋蔵文化財