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吉田ふれあい国安の郷について

印刷用ページを表示する 記事ID:0070401 更新日:2021年12月20日更新

吉田ふれあい国安の郷について

代表的な建造物 商家「法花津屋(ほけづや)」

法花津屋

法花津屋は、伊予吉田藩の御用商人である三引高月甚十郎の店舗として使われていた建物です。建築されたのは安政6年(1859年)。役柱に約45cmもの材木が使われているなどの豪壮な商家建築  で、幕末のこの地方の建築様式を今に伝える貴重な建造物といえます。法花津屋は酒や紙を中心とした問屋業で、帆船を所有し、手広く商いを行っていました。質屋、網、金融などの事業まで幅広く行っていたと言われています。法花津屋の主であった三引高月家は、吉田藩の開藩とともに吉田に住み、現在の宇和島市吉田町魚棚に店を構えていました。当主は代々「甚十郎」の名を踏襲し、御用商人として藩の財政に関与したり、町年寄を務める等、伊予吉田藩の藩政にも強い影響力を持っていたといわれています。高月家当主のうち、三代目当主 高月狸兄(たかつきりけい 生年不詳~1762)と、六代目当主 高月虹器(たかつきこうき 1753~1825)は、愛媛県における俳諧史にその名を残す文化人であり、特に虹器は、書道や茶道などにも通じ、「吉田先家流」と称する挿花の一派を興して多くの門人を育てました。門人の数は時に400名近くに及び、現在の高知県佐川町あたりからの門人も多くいたとされます。また、虹器のまとめた「年賀集」という図録兼文芸集は、愛媛県南予地方から発信された化政文化の精華といえます。

 

米蔵ギャラリー

伊予吉田藩や吉田町に縁のある資料を中心とした展示をしています。

 米蔵ギャラリー1米蔵ギャラリー2

 

お祭り館

「鹿の子」や「宝多(ほた)」等、宇和島市吉田町に藩政時代から伝わる吉田秋祭にまつわる資料を中心に展示しています。

 お祭り館1お祭り館2

 

農家住宅

農家の生活や農具等を展示し、昔の農家の生活様式を再現しています。

 農家1農家2


郷土の先人

このページに関するお問い合わせ先
吉田ふれあい国安の郷
〒799-3761 愛媛県宇和島市吉田町鶴間1503番地
Tel:0895-52-4884
Mail:kuniyasunosato@city.uwajima.lg.jp