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展示替えのため下記のとおり、休館いたします。
令和7年2月18日(火曜日)~20日(木曜日)
ご迷惑をおかけいたしますが、ご了承ください。
2月21日(金曜日)より 宇和島伊達家コレクション展2・ひな人形・ひな調度展を開催いたします。
日頃より当館をご利用いただきまして、ありがとうございます。
都合により、下記の通り休館日を変更いたします。
ご迷惑をおかけしますが、何卒ご理解いただけますよう、お願いいたします。
「伊達は十万石、鶴島城址・・・・・・」と宇和島小唄にもうたわれているように宇和島は伊達十万石の城下町として発展し、早くから文化の開けた所です。
慶長20(1615)年宇和郡板島の地(現在の宇和島)に初代秀宗が入国して以来、歴代藩主の善政によって殖産興業、文化の興隆めざましく、薫り高い幾多の文化遺産を保有しています。特に八代藩主伊達宗城は賢侯のきこえ高く、内政の充実はもちろん、幕末の政局多端に際しては、松平慶永・山内豊信・島津斉彬らとともに大いに活躍したところから、中央との交流もしげく、他に見ることのできない貴重な文化財が残されています。
昭和47(1972)年に市制50周年を迎えた宇和島市は、それを記念して、これらの文化財を公開し、先人の業績をしのび、文化愛護の精神をやしなうと共に、これを伝承し、さらにより高い文化の創造を願って、この博物館を建造しました。
この庭は、江戸中期の縮景風池泉回遊式庭園の一部です。
かつては、豊富な清流を取り込んだ、かなり大規模なものであったと推察されています。石組は、水蝕された砂岩を主役にし、橋など一部に緑泥片岩の「伊予の青石」をあしらっています。
現在は、池を枯山水風にあらためていますが、年代を経た樹木の風格と石組のすぐれた技術が、往時のすばらしさを偲ばせています。また、この庭には、縁起のよい「鶴亀」という祝儀の庭の形式が組み入れられています。中島の亀島、左後方の三尊石組等に、その面影が残されています。
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