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市指定 紙本日像筆曼荼羅本尊

印刷用ページを表示する 記事ID:0053203 更新日:2020年11月4日更新

市指定有形文化財(書跡)

紙本日像筆曼荼羅本尊紙本日像筆曼荼羅本尊 一幅

  • 所在地 妙典寺前
  • 所有者 妙典寺
  • 指定日 令和二年一〇月二三日

 妙典寺は、文禄三(一五九四)年の開基の日蓮宗寺院である。
 当寺院に古くから伝わる曼荼羅本尊は、紙本墨書、掛幅装、本紙は縦一一〇cm、横五二.三cmを測る。建武二(一三三六)年、日像(※1)が六七歳に書したもので、偏角にみる筆法の特徴から“なみゆり”(※2)とも呼ばれるものである。日像が残した曼荼羅の中では状態は良いものである。なお、天蓋と蓮台については、後に書き加えられたものと思われ、仏画の影響を受けている。このような加筆は江戸時代以降よく行われるもので、曼荼羅本尊の干支の書き方が近世的だという見方もあるが、全体的な筆勢や諸尊名の配列などから、日像の真筆と判断するに至った。

 京都日蓮宗では永禄年間に画期があると考えられており、天文法華(天文五(一五三六)年)の乱において比叡山との争いの結果洛外においやられ、天文一一(一五四二)年まで洛中では禁教状態となった。この際、曼荼羅など現在の宗宝とされるような文物をもって僧侶たちが各地へ避難したのではないかと推測されている。そして、京都での布教が再開された後もこの乱を危機に感じて、地方への伝道活動が活発となっていおり、このような動きの中で、妙典寺に伝わったと推測される。 

 中世段階のもので且つ状態が良好という希少性、そして妙典寺伝来のあり方が当時の社会情勢の反映と考えられる史料的価値を有している、この二点において文化財的価値が高く、市指定文化財に指定した。

 なおこの曼荼羅本尊は、非公開とされており、一般見学は不可である。 

※1 日像:文永六(一二六九)年~興国三/康永元(一三四二)年、鎌倉後期から室町初期に活躍した日蓮宗の僧。下総の人。通称、肥後阿闍梨。日蓮・日朗に師事。京都に入り三度追放されたが、妙顕寺を創建し京都布教の基盤をつくった。
※2 なみゆり:題目の文字部分が著しく波打つように意匠化されている。

 


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