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国登録 木屋旅館

印刷用ページを表示する 記事ID:0029386 更新日:2019年3月14日更新

国登録有形文化財(建造物)木屋旅館

木屋旅館 一棟

  • 所在地 本町追手
  • 所有者 宇和島市
  • 登録日 平成二六年四月二五日

 木屋旅館は饅頭屋の木屋徳右衛門の息子徳三郎が明治四四(一九一一)年堀端通りの現在地に商人宿として開業したのが始まりである。

 当時の宇和島は明治以後急速な産業、文化の発展に伴い、追手通りや袋町を中心に繁華街が形成され、「融通座」という芝居小屋が追手通りにあり、商業客はもとより役者や歌手などの芸人も多く宿泊した。
 所在地の堀端通りは宇和島城の堀が埋め立てられた土地で、すぐ近くに追手門(国宝、戦災で焼失)があった。現代は大きな石碑のみ残っている。この旅館は木造二階建て、切妻造平入り、桟掛け瓦葺き、延べ面積五五九平方メートル(一六九坪)の、つし造りである。

 正面から見る外観は、一階は連子格子窓と犬矢来と、二階は硝子窓が連なり、風情のある佇まいを醸しだしている。創建当時の写真には、建物の前に柳の木があり堀端を思わせる独特な風景であった。

 客用玄関前の軒先には、創建当時の門灯が残っている。玄関を入ると取り次ぎの板間になる。板間横には、客間として和室八帖二部屋と四帖一部屋があり、三部屋共床の間の構えがあり会議室や宴の部屋に使われている。この客間と板の間からも中庭と宇和島城が見える空間になっている。主として一階は旅館に必要な機能を備えた部屋が配置してあり(板間の横にはお土産売り場と受付もあったが現在は撤去されている)、調理室、風呂場、ボイラー室等がある。また、一階東部分に車庫があるが、創建当時は人力車の置き場所であった。従業員が使用していた玄関には、宴が盛り上がり旅館に泊まったお客が、早朝利用する人力車に乗るための小さな引板戸が現在も残っている。

 二階の間取りは、表通り面して縁を設け、客室には八名までが宿泊出来るようになっている。客室の前に廊下、その外側にも廊下が二重に設けられて、掃き出し用の硝子窓となっている。創建当時は建具なし、雨戸だけとなっていた。外側の天井は主屋根の勾配で、その部分のみ天井が低く、屋根は銅版一文字葺きになっている。
 二階北面端にある部屋は、常連客の司馬遼太郎が宿泊するときに使用された部屋が今も残っている。この部屋からも城山や一階の中庭も望められる造りで、北面側には、茶室に設える小さな花瓶掛け用の沈め釘や床板に類する構えも残されている。
 表の外観は創建当時の景観が残されて宿泊客や市民に慕われている建物になっている。


文化的景観
埋蔵文化財