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市指定 稲荷神社本殿

印刷用ページを表示する 記事ID:0002231 更新日:2015年7月1日更新

市指定有形文化財(建造物)

稲荷神社本殿稲荷神社本殿 一棟

  • 所在地 三間町戸雁
  • 所有者 稲荷神社
  • 指定日 平成一五年八月一日

 稲荷神社は、「戸雁お稲荷さん」と呼ばれて、その昔からこの近郷の人々から親しまれてきた神社である。大同二(八〇七)年に京都稲荷社を勧請したと伝えられる。元は稲荷田に鎮座していたが、火災により、元禄元(一六八八)年に現在地の広田杜に遷された。

 その本殿は、三間社流造、柿葺で、桁行の柱間寸法は比較的小さく、梁間は一間でやや小型の造りである。

 建築年代は元禄元年に当地へ遷したという伝承はあるが、それよりは少し下降し、虹梁の絵様などから、江戸時代中期の一八世紀前期と推定される。

 この本殿の特色は、妻飾の特殊な形式にある。すなわち、虹梁上に巨大な狐の浮彫入りの大蟇股を置く。その上にあるべき斗ますを省略し、大瓶束を直に立てている。これが極めて独創的な構成である。

 また、組物の出組は秤肘木を略し、手先肘木の斗まに直接実肘木きを乗せた疎組で、神社本殿としては珍しい。軒は二軒繁垂木であるが、身舎正面に地垂木を入れる古式による。

 中備の本蟇股の彫刻の出来映えは優れており、手挟は籠彫の技法が用いられている。特に蟇股の彫刻には、輪宝などの仏教由来の図様が見られ、神仏習合時代の寺社建築の特色を残している点は、高く評価される。

 この本殿には早くから覆屋が設けられたため、屋根の柿葺が極めて良好に保存されており、江戸時代の柿葺の技法を知る上で貴重である。

 総括すると、この本殿は、一八世紀前期の建築で、南予地方では最古級のものであり、独創的な細部の形式や優れた技法を見せており、江戸時代の建築技術を知る上で学術的価値も高い。

狐の浮彫り入り大蟇股の画像
狐の浮彫り入り大蟇股


文化的景観
埋蔵文化財