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市指定無形民俗文化財
お槍振り
伊達家御歴代事記に「慶安二(一六四九)年九月九日一宮祭ノネリ始ル」とある。これは初代藩主伊達秀宗の意向により「弓、鉄砲・長柄の槍」の行列が、宇和津彦神社の祭のお練りとして始められたことを示している。
爾来、幾多の変遷があったが、江戸中期頃から道中奴舞の所作が取り入れられてきた。そして旧丸穂村(現野川地区を含む)の人々により、呼び名も宇和島「お槍振り」と云う愛称で、独特の法被姿の道中奴のいでたちで「長柄の槍「を操り、情緒豊かな歌にあわせた「槍踊り」がはじめられ、およそ二〇〇年の伝統を継承している。
宇和島「お槍振り歌」
踊りに使われている槍は、他の地方のものとは異なる。
この槍は慶長元(一五九六)年四月、政宗の長子、兵五郎(秀宗)が秀吉の猶子となって、京都聚楽第で、秀吉の秀の一字をもらい元服をした時、白梵天の馬印と共に、拝領した大熊毛槍に似せて作られている。又踊りも四人一組で長柄の槍を肩にし、歌に合わせゆったりとした重厚な身振り、手振りの踊り方で、合間に向き合って槍を投げ渡すなど、素朴で豪快な非常に体力のいるものである。
さる大正一一(一九二二)年一一月二五日、東宮殿下(昭和天皇)天赦園行啓の際に台覧に供した。