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市指定無形民俗文化財
せんす踊り
九島(主に蛤地区)の盆行事には、八月一四日朝の念仏講(各戸より一人ずつ出る)による「朝念仏」や、一六日の各戸をまわっておこなう「お数珠くり」とならんで、一四日の、新盆を迎えた新仏の供養のために浜の広場で「せんす踊り」と称する盆踊りがある。
明治の末期ごろは、紙垂を持ってのアヤ踊りともいったらしく、若者中心の行事であった。本九島では、昭和初期、華美にながれるとかの理由で、老人中心の踊り組合の行事になっていたが、戦後、再び青年団の手に復した。本九島・百之浦・蛤の九島三か浦ともに、一六~一八歳の女子が、扇子を巧みに操りながら踊ることになって、現在せんす踊りという。
せんす踊りの踊り手の数は、その年の同一年令の女子全員。口説き(若者もしくは老人)とはやし手(同前)が大太鼓にあわせて歌い、それに和して踊るのである。
口説き文句は、ほぼ七七七五調で、キソン・サンサ・エジマ・イセシュウ、それに故人の特長をうたいこむ即興的な口説きなどがある。現在、エジマ、イセシュウをうたう人は少ない。
百之浦のサンサは次のとおり。( )内は、はやし手がうたう部分
エーコイネーエーエヤーョホイエー 流れたヨーホンサ(コイネーシャントヤレナ)島が流れたヨーホーヘンサ(マダマダエーエホーサンサ)ソリャホサンサのまえことヨ 九島の島が(つなぎとめましょ)しゃんとやれな(城下に)
次の例は蛤のサンサ
ここと白浜は ここと白浜ヨーホ
竿さしゃとどく(なぜに想いが)
(とどかぬか ニャエエ)
これら口説きの種類によって太鼓の打ち方、踊り方はすべて異なっていたが、現在はすべて同様となっている。
九島三か浦ともに太鼓の打ち方はほぼ同じだが、踊り方や衣装はちがっている。
この踊りの由来はよくわからないが、遊子地区の魚泊のせんす踊り、戸島と嘉島のハンヤ踊りのうちの扇子を持つ踊りと関係が深いと思われる。今後、これら踊りの系譜関係についての比較研究が期待される。