本文
市指定無形民俗文化財
お伊勢踊り
お伊勢山田の神祭り
むくり(蒙古)こくり(高句麗)をたいらげて
神代君代の国ぐにの
千里の末の人までも
詣る(り)下向のめでたさよ
(下波のお伊勢踊りの歌詞)
もと南予のどの村にも、伊勢神宮ゆかりの神明神社が建てられ、この歌のお伊勢踊りが、その祭礼に踊られていた。
現在、お伊勢踊りは、市内で石応・白浜・九島百之浦・遊子番匠に伝承されているが、市指定の無形民俗文化財は下波と戸島のものである。下波地区結出にある神明神社の秋祭は九月一六日。下波地区六浦の青年団が年毎に輪番で担当して主催、豊漁祈願にお伊勢踊りを奉納する。小学生男子が稚児風に女装して、左手に舞い扇、右手に御幣を持ち、飾りのついた花笠をかぶり、太鼓・三味線の伴奏・歌にあわせて踊る。この踊りは、一五日の夜、一六日の朝と夜にわたって、計一二クサリ(ひとクサリとは、前掲の歌詞一番から八番までをとおして踊ること)を長時間かけて、踊るのである。
一方、戸島本浦・美砂子のお伊勢踊りは、三月一一日の大神宮の春祭りに、氏神(天満神社)と大神宮の社前で踊られる。小学六年生までの幼児・児童(男子)全員が、法被を着、美しい花房のついた笠をかぶり、手に御幣とサカキの小枝をもって、太鼓に合わせて歌いながら踊る。戸島の歌詞は七節。
戸島の踊りは、下波のそれが歌舞伎踊り風のきらびやかさをともなうのに比して、単純・素朴な芸態を伝えている。
近世のお伊勢踊りは江戸初期、伊勢から全国に波及し流行した。宇和島藩へは元和・寛永のころ(一六二〇年代前後)、土佐の国から伝播したものといわれ、藩の命令もあって、各村には神明神社が建立され、二月一日の「二月入り」にこぞってお伊勢踊りが行われた。
八幡浜市穴井の長命講(五〇歳以上の老人)による伊勢踊りは、近世初期の古風な姿を伝えているといわれるが、宇和島市内の踊りは、ほとんど雅児風に扮した子供たちの踊りで、いたって単純化され、単調な芸態である。下波の踊りのみ、単調な芸態ながら、みやびな風流踊り的なものに変化しているものと思われる。
いずれにしても、お伊勢踊りは、江戸時代以来の、宇和島における伊勢信仰にかかわる貴重な民俗文化財といえる。