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市指定 八ツ鹿踊り

印刷用ページを表示する掲載日:2015年7月1日更新

市指定無形民俗文化財

八ツ鹿踊り八ツ鹿踊り

  • 所在地 野川 宇和津彦神社
  • 所有者 八ツ鹿保存会
  • 指定日 昭和四九年二月一二日

 宇和島地方に古くから伝えられている八ツ鹿踊りは、かつて宇和島城下の総鎮守であった宇和津彦神社祭礼の練り物として、初代藩主秀宗の時代にはじめられたもので、既に三六〇年余の伝統を持っている民俗芸能である。

 ししまい・ししおどり・鹿の子・鹿おどり・デンデコなどと呼ばれて、市民に親しまれているが、その源流は仙台藩領の風流の一つ、「鹿踊り」である。

八ツ鹿踊り 鹿の面を頭につけ、その面から垂れた布で上半身を覆い、太鼓を前に抱えて打ちながら歌い踊る。この「太鼓踊り」系の鹿踊りは、宮城県各地に普及していて、いろいろな踊りや歌詞がたくさんある。その中で、雄鹿たちが雌鹿を尋ね探して遂に発見して喜ぶ「めじしかくし」という踊りが、宇和島に定着して現在になったものであろう。

 踊り手の数によって「八ツ鹿」「七ツ鹿」「六ツ鹿」「五ツ鹿」「四ツ鹿」と種類が違い、振付・唄の節回しなど地域により少しずつ違いがある。新潟・関東・東北地方にもあり、愛媛県内では南予一円に分布している。

 南予一円の鹿踊りは、宇和島の八ツ鹿が源流で、それが各地に拡がったものであるが、地方には、鬼北町清水の五ツ鹿のように、古い形態が残され、写実的で原始的な力強いものがあるのに対して、宇和島のものには優美な様式化が見られる。

 小学生たち八名で踊られるこの踊りは、日本旋法の呂旋法(ド・レ・ミ・ソ・ラ・ド)で組立てられた、美しく哀愁を帯びた旋律で、ゆったりと大変優雅に踊られる。しかしその原型の仙台地方の踊りはかなり活発な踊りで、頭も鹿の頭でなく、権現型と言われる獅子頭で、勇壮に踊られる。

 宇和島に伝来する八ツ鹿踊りは、慶安二(一六四九)年頃はじまり、その後五ツ鹿に縮小される。嘉永二(一八四九)年末広伊作筆の宇和津彦神社祭礼絵巻では、五ツ鹿であったことが示されている。また、当時の宇和島市裡町の五ツ鹿の面の裏には、「安政四丁巳六月 当町森田屋磯右衛門源吉昌作」とあり、一八五七年の作であることが分かる。大正一一(一九二二)年、昭和天皇(当時、摂政の宮)行幸の時に台覧に供してから八ツ鹿に復元され、現在も旧裡町一丁目が保存伝承を受持っている。

 裡町に伝来する八ツ鹿踊りは、雄鹿七体、雌鹿一体の計八体で、宇和津彦神社の練り物として毎年一〇月二九日の祭礼で演じられる。

 踊りの内容は、ある屋敷の庭に一頭の雌鹿が隠され、七頭の雄鹿が探し求めるものである。やがて、すすきの陰に隠れている雌鹿を見つけ、お互いに喜び合うという筋立てである。

 牛鬼が豪快勇壮、あくまでも、男性的な練り物であるのに対し、鹿踊りは、優美繊細、女性的な舞踊であって、両者とも、宇和島を中心とする南予一円の代表的な風流芸能である。牛鬼は炎熱の夏祭りにふさわしく、鹿踊りは、さわやかな秋祭りの風物として申し分ない。西日本では、南予地方に集中して鹿踊りはあるので、独特の芸能として大切にしなければならない。

歌詞

まわれ廻れ 水車
 遅く廻りて
 堰に止まるな 堰に止まるな
 
十三から これまで連れたる
 めん鹿をば
 こなたのお庭に
 隠しおかれた 隠しおかれた
 
なんぼ尋ねても 居らばこそ
 一本すすきの
 かげに居るもの かげに居るもの
 
風が霞を吹き払うて
 今こそ め鹿に
 逢うぞうれしや 逢うぞうれしや
 
奥熊が 奥の永途を越えかねて
 爪を揃えて
 はやすおもしろ はやすおもしろ