本文
市指定有形文化財(建造物)
旧毛利家庄屋住宅のうち主屋及び長屋・門 二棟
主屋は、宝暦三(一七五三)年に初代毛利甚蔵が建築。一列並び型(土間・勝手・奥)に座敷部(次の間・座敷)を角屋として延ばし、家全体が鍵屋、角屋座敷という県下でも二棟しかなく珍しい。小屋組は、大きな梁の井桁組ではなく、牛梁の上に長い束を立て棟桁を支えている。土間部分の落座や居間兼台所など残っていることも貴重である。
部屋は、大小さまざまに仕切られているが、畳の間は九部屋計五八・五畳である。大正初期、座敷八畳の床の間、付書院などが改造され、創建当時の風情を欠いていることが惜しまれる。
外観は、角屋座敷をもつ平面からできた独特な雰囲気をもっており、屋根の箱はこ棟むねは南予地方の豪農の造りとしての特徴を表している。平成一〇年大修理が行われ、木材の腐食、破損の復旧、茅葺屋根の全面葺替えなど、主屋の全貌が刷新された。
長屋・門は、棟札によれば嘉永四(一八五一)年一月一七日、四代毛利源蔵が建築。打込はぎの石垣上に造られた下見板漆喰塗り一三間の壁は、当時の庄屋の風格を表している。門及び厩、牛小屋、その東側には部屋が建てられている。その後、一部を改造した。この長屋・門及び部屋も腐食が激しかったが、平成一六年の大修理によって一新した。
旧毛利家庄屋住宅の特色は、主屋、長屋・門、納屋、土蔵そして中庭と江戸時代の庄屋屋敷の全体をよく残していること。並びに敷地の高低差をうまく活用し、周辺の地形や自然ともよく調和させているのも特徴的である。
さらに、「青竜(東)に流水、白虎(西)に長い道、朱雀(南)汗池、玄武(北)に山陵あり。」という条件がととのい、富貴繁盛の地で、中国の家相学である「営造宅経」に合致しているという。
毛利家を守る会によって種々のイベントが催され、市民との交流が図られている。
なお、毛利家には多くの古文書が残され、郷土史研究に役立っている。
長屋・門