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市指定無形民俗文化財
トントコ踊り
宇和海地区の蒋淵には、「トントコ踊り」とよばれる盆踊りがある。江戸時代に旱天・不漁・疫病がうちつづいたとき、昔、落鼻で遭難した平家の落人の祟りによるものと考え、正徳元(一七一一)年に、その落人の供養塔を落鼻に建てた。その時にはじまった供養の踊りといわれている。
八月一三日の夜、二艘の舫い船を踊りの舞台として、蒋淵七浦を回漕しつつ、各浦の新盆を迎えた新仏と、各地区の神仏にささげられる。新盆の家は、酒一升と肴を献じて新仏の供養に踊ってもらうのである。
一五日は、昼間の踊りで、まず、蒋淵に祀られている神々に踊りを捧げる。タンゴ様には日向踊り、戎様には宮島踊りといったように、神様ごとに、献ずる曲目がほぼ決まっている。踊りは陸を背にし、沖を正面にして踊る。さらに落鼻の沖でも、四八人の平家の落人の霊をなぐさめるために、四八庭(庭とは踊りの回数)の踊りを納める。このときは踊りの数をまちがえないように、一庭ごとに竹筒に刻みをいれ、全部の踊りが終わると、その竹筒に酒をつめて海に流す。そのあとは絶対にふりかえってはいけないという禁忌がある。
踊り手は、昭和二五・六年頃までは、一四戸ほどあった網元のオーゴ(網子)が、になっていたが、現在は青年団員が踊る。踊り手八人は右手に一mほどの紙垂(紙のフサを竹の両端に飾った棒)を、体の前で、八の字にまわしながら、太鼓・鉦・口説きにあわせて踊る。
踊りは宮島踊り・住吉踊り・寺見踊り・花見踊り・新吾踊り・日向踊りの六種をかぞえる。たとえば宮島踊りの歌詞は次のようなものである。
一、 宮島の三艘組んだる先船に/召したる物は何に何にぞ/綾や錦の織物や(よ)綾や錦の織物や(よ)/トントンエー トコトントントン/エイトコトンイヤシボリコイ
二、中なるお船に召したるものは何に何にぞ/戎・大黒・福の神/御座をそえては御召しある/トントンエー(以下同様)
これらの歌章には、豊漁・航海安全を祈願したり、恋の歌をうたい新仏の鎮魂をはかるものが多い。
一三日の夜がふけるのも忘れて、トントコ、トントコという鉦・太鼓の音にあわせて若者たちが踊り、ひと庭ごとに住民が踊り船に向かって拍手をおくる。新盆の家々では、この踊りで故人への思いをあらたにするのである。