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市指定 中世オリヤー語の貝葉写本

印刷用ページを表示する 記事ID:0002296 更新日:2019年3月12日更新

市指定有形文化財(歴史資料)

中世オリヤー語の貝葉写本中世オリヤー語の貝葉写本 二二一葉(両面記載)

  • 所在地 愛媛県歴史文化博物館(寄託)
  • 所有者 宇和島市
  • 指定日 平成一三年一〇月二二日

 津島貝葉は古くから津島町に伝わる貝葉の写本である。貝葉とは、貝多羅葉の略で貝多羅ともいう。貝葉は多羅樹(掌状葉のヤシの一種)の葉でこれに書写した記録や経典をも意味する。古代インドや東南アジア諸国では、紙のなかった頃からこの仲間のヤシの葉に経典などを鉄筆で刻んだ後墨をつけて拭き取る手法で書写していた。

 津島貝葉はもともと岩渕の満願寺に保存されていたが、その後増穂の大塚家(旧庄屋)に渡り、さらに宇和島市の個人の所有となった。それが平成五年一月、津島町へ寄贈され現在に至る。

 津島貝葉の内容は、一五世紀のインド・オリッサ州の詩人サーララー・ダーサが書いた『マハーバーラタ』の一部である。『マハーバーラタ』は、バラタ族の戦争についての古代インドの大叙事詩で、サンスクリット語(インドの古典語)で書かれている。

 津島貝葉には、詩人サーララー・ダーサがオリヤー語(オリッサの民衆の言葉)で自由に語った叙事詩『マハーバーラタ』が記録されている。それはオリッサ文化が強く反映したものである。この叙事詩は、『サーララー・マハーバーラタ』とも呼ばれ、彼の書いた当時からオリッサの人々に広く親しまれている。

 津島貝葉はこの叙事詩の「森林章」の一部で、全内容の十分の一程度に相当する。この章は、パーンダヴァ王子が追放されてから一二年にわたる森林での生活について述べたものである。オリヤー語で書かれた貝葉

 津島貝葉は一七世紀の初め、オリッサ州で書写された写本で、夾板もオリッサ産の竹が使用されている。さらにこの貝葉はヒンドゥー教の儀式でも読誦され、人々の宗教生活とたいへん深い結びつきがあった。

 津島貝葉が、遠いインドのオリッサからこの津島にどのようなルートで渡ってきたかは定かでない。わが国には東南アジアなどから仏教関係の貝葉写本が多数伝来している。しかし海洋ルートではるばるオリッサの古い貝葉写本が日本に伝えられたのは、津島貝葉以外には他に例が見られない。このことは長崎法潤氏(大谷大学名誉教授)らの調査により明らかになっている。

(注)オリッサ=インド東部、ベンガル湾沿いの州


文化的景観
埋蔵文化財