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市指定 八幡神社の棟札

印刷用ページを表示する 記事ID:0002295 更新日:2019年3月12日更新

市指定有形文化財(歴史資料)

八幡神社の棟札 二枚

  • 所在地 津島町高田
  • 所有者 高田八幡神社
  • 指定日 昭和四一年四月一日

 本神社の棟札は二枚あり双方ともヒノキ材で槍鉋仕上げ、前者の棟札は、天文一三(一五四四)年一二月二〇日、津島領主越智越前守通孝が神社再興にあたり奉納した長さ一二四cm、上幅四cm、中幅一八cm、下幅一九・五cm、厚さ一・五〜二・〇cm、熨斗形がたで極めて保存状態がよい。後者は天正一〇(一五八二)年一二月二三日、通孝の孫通顕が同じく奉納した長さ一三六cm上下幅とも二二・五cm、厚二・二cm、頭部三角長方形、表面の仕上げも保存もよいが、裏面は粗削りで上部が腐食している。

 棟札によれば、通孝、通顕とも社殿一棟を寄進し、数多くを祈願している。

 高田八幡神社の勧請年代は明らかでないが、慶応元(一八六五)年一〇月当社神職武内紀正悦の書「神社尊号年代共覚」によれば、往古は現在地の得寿の森より四kmばかり北にあたる譽田の杜にあったが、しばしば遷座され、松の峠・得寿を経て今の得寿森に至っているが詳細は不詳である。現在地に移ってからは、天治二(一一二五)年一八九年目奉再建とある。この棟札は以後の再建の年代を知るうえの貴重な史料であり、四二〇年経た戦国時代にも、土地の郷中氏神として尊崇を受けてきたことを物語っている。

 越智一族は現在の南予地方を支配下としていた宇和松葉城主、西園寺家の十五将の一人で津島殿と呼ばれ、石高は一万石、手勢四九騎を有したと宇和旧記に記されている。

 越智氏はこの社殿の寄進以外にも高田八幡神社に、多額の寄進を続けたものと思われる。

天文一三年の棟札

天文13年の棟札

(中) 上棟、八幡宮一宇再興建立、仰冀、願主大檀那津島越前守越智朝臣通孝、
(右) 大日本国与宇津島岩藤郷、天長地久諸願圓成皆令滿足、
(左) 奉建立正和二祀癸丑九月二十日、于今二百三十一年再興建立、
(右) 皇永扇帝道遐昌、佛日増輝、法輪常轉、
(左) 社門鎭靜内外哉安、當郷安全萬民快樂、
(右) 定役藤左衛門尉能宗、公文西左近將監俊尚、同名孫衛門通繁、
(左) 當職式曽祢神衛門尉通元、普請奉行國松土佐守俊次、勸進施主檀越各々、
 先 公門受祐、内外威安、民屋賈餘、男女行樂、
 願 張三社舞、李四村歌、結鷲嶺緣、待龍華會、
(下) 鍛冶播磨助能定、大工藤原藏助秀、仕手大工因幡守次吉、
 小工藤原能登守能継、金細工林勘解由左衛門忠直、當社太
 夫平氏三郎大夫元家旹天文十三甲辰臈月二十日 謹封

天正一〇年の棟札

天正10年の棟札

(中) 上棟、再興、大日本國、豫州路、宇和郡、津島、願主大檀那越智朝臣彌三郎通顯
(右) 皇風永扇、帝道遐昌、佛日増輝、法輪常轉、
(左) 天清地寧、國豊家穩、諸願圓成、皆令滿足、
(右) 先 家門鎭肅、内外忻慶、子孫繁昌、兵革不起、民物締歡、如意吉祥、
(左) 願 大張般若真灯、普照六凡之暗、親甞総持妙藥、逈竢龍華之春、
(右) 定役岩藤與右衛門尉繁昌、公文西新藏人入道、大施入大方花山姉、
(左) 當職式曽祢近江入道通之、奉行上高田善介通宗、勸進施主檀越各々、
(中) 鍛冶久兵衛尉秀久、同善左衛門尉吉長、大工四郎右衛門尉藤原吉
安、小工新藏人尉藤原安家、仕手大工下総入道秦久次、金細工式
部丞奉久貞、當社左衛門大夫家安、
(下) 旹天正十年壬午十二月廿三日 謹封


文化的景観
埋蔵文化財