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市指定有形文化財(歴史資料)
三島神社の棟札 一枚
北灘の三島神社は天長八(八三一)年創建で主祭神大山積命を祀る古い神社である。もともと同地区宮ノ上にあったが、元弘元(一三三一)年現在地に移築造営されている。本棟札はそのとき奉納されたものである。
棟札は長さ一二一cm、上下幅とも一五cm、厚二・二cmの頭部三角長方形で表裏ともに槍鉋、チョウナ削りのヒノキ板である。七〇〇年近くも経過していて風化と腐蝕があり文字は判読し難い。一六代神職菅原佳長氏の昭和四七年に書き写したものがある。
ただ、延宝九(一六八一)年編纂の『吉田古記』には、「一大願主沙弥定圓、同前薩摩守沙弥妙通、同豊後守沙弥智本、同刑部左衛門尉沙弥誠傳、同左兵衛尉橘範遠、同左近将監橘元村、上棟元弘元年辛未九月九日、今至天授三年丁巳二月二七日再興、延宝九年まで三百十年に成る」とあり、表記棟札の大願主四名の他に、沙弥定圓と左近将監橘元村の名が挙げられている。別の棟札には元弘元年の大願主が沙弥定圓、天授三年再興の大願主が橘元村と記されている。
『吉田古記』には外にも八枚の棟札があり、室町から戦国期に「村」を通字とする橘氏一族の名が散見される。
橘氏一族は、北灘湾を根拠地として宇和海を支配する海の生活者集団であり、この三島神社は、橘範遠、橘元村など橘氏一族の氏神であったと考えられる。
(表)
奉勧請三島大神 天神 大祖 大山積命 磐長姫命 木花開耶姫命 四海靜謐二宮一光 玉體 安穏 萬歳快楽
(裏)
当社榊森勧請元弘元年拾弐神乎合祭留社伝朔十五日十六日廿八日御神供拾弐膳ヲ奉畄神田三反五畝拾八歩
往古当所仁御出現有利弖悪星退散守護志給布御神㚑(霊)不現有弖正直仁御宅托宣登崇女棟札仁載畄者也
薩摩守沙弥妙通 刑部左衛門尉沙弥誠傅 敬白
大願主
豊後守沙弥智本 左兵衛門尉橘範遠