本文
市指定有形文化財(歴史資料)
木彫迫目村山型
迫目自治会に伝承されている木彫迫目村山型は、迫目村の地形の模型で、寛政一〇(一七九八)年の表書きのある木箱に保存されている。
寛政六年から同一一年にわたって吉田領迫目村と宇和島領光満村との間で、山林境界と井手ヶ谷堰の構造および分水について論争が繰り返されてきた。この争議の解決の資料として作製されたものである。
この迫目村山型は、組み立て方式で、部品七体を組み合わせると、縦九四cm、横七八cm、高さ二一cmの大きさになる。材質は「さくら」である。
形状は、極めて精密に造られ現在の地形測量に近い整った形である。地名・池・赤道・田畑・民家等、全体が色彩豊かに彩られている。
彩色の剥落や地形の欠損も少なく、よく保存されてきたが、保管箱の表示にある「絵図」の欠損が惜しまれる。
裁定の結果は、山林境界については、迫目村が有利で、分水については不利であったといわれる。なお、この争議中に交わされた文書が約八〇通ばかり遺されている。
迫目自治会では、この木彫迫目村山型の外に、古文書を多量に保存している。平成一〇年六月、愛媛大学内田九州男教授一行の学生を含む調査団によって、山型や古文書の調査がなされた。
山型の保存箱
色彩豊かな山型の一部