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市指定 弘経山妙典寺山門

印刷用ページを表示する 記事ID:0002228 更新日:2015年7月1日更新

市指定有形文化財(建造物)

弘経山妙典寺山門

弘経山妙典寺山門 一棟

  • 所在地 妙典寺前
  • 所有者 妙典寺
  • 指定日 平成一二年三月八日

 妙典寺は、文禄三(一五九四)年の開基の日蓮宗寺院である。文化二(一八〇五)年及び安政二(一八五五)年の火災により本堂をはじめ諸堂を焼失している。幸いにも山門は両度の火災を免れており、享保七(一七二二)年に建立されたものが現存している。

 長方形断面の鏡柱の上に太い冠木を渡し、その後方に正方形断面の控柱を立てる典型的な薬医門である。冠木上に渡された男梁などの形状に建立年代の一八世紀前半の特色がよく表れている。

 柱や冠木は太く、寺院の山門として風格が高い。屋根はもと本瓦葺であったが、近年になって桟瓦葺形の銅板葺きに改められている。屋根葺材の改変はあるものの、その他の部分の保存状態は極めて良好である。建築年代が享保七年と比較的古く、寺院山門として建てられた薬医門の典型例であり、意匠的にも優れている。

 妙典寺山門棟札 「妙典寺第一○世唯心院日性上人代、神尾勝延(四代)は山門建立を志し、発起人となって瓦一宇、銀高四貫目余を拠出、黒田弥左衛門は、金具一宇、銀高一貫目、川口屋又左衛門は成川にて御公儀より材木拝領、木取世話、併せて米一俵寄進。

柳田彰右門米一俵を始めとして趨屋喜左衛門、川口重之、松田栄助、坪屋吉佐衛門、谷了因、他七九名の寄付者によって享保七年完成。
大工棟梁 貞之蒸

薬医門形式の構造の画像
薬医門形式の構造


文化的景観
埋蔵文化財