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市指定 七条のけさ

印刷用ページを表示する 記事ID:0002281 更新日:2019年3月12日更新

市指定有形文化財(工芸品)

七条のけさ七条のけさ 一領

  • 所在地 津島町岩渕
  • 所有者 満願寺
  • 指定日 昭和四三年一月一〇日

 この袈裟は、縦一・〇四m、横二、〇六mの七条衣であり、寺宝として代々継承されてきたものである。真言宗等の袈裟にある修多羅・横皮の装束もなく、紐の付け方(威儀)から、臨済宗様の袈裟であると判断できるが、他宗のものから流用可能で、最初から臨済宗のものであったとは断定できない。

 袈裟は金襴緞子などの高価なものがもてはやされるが本来、袈裟は「糞掃衣」とも呼ばれるように、捨てられたボロ布をつなぎ合わせて作られたものである。この名残より、わざわざ小片にした布をつなぎ合わせて作った袈裟は、元祖パッチワークともいうべきものである。

 満願寺の袈裟は夏用の袈裟であり、袈裟の周囲(縁)および条の境界部(葉)は深草色紗地で牡丹文様、葉の部分は銀箔が施されていたように思われる。縦七条からなっているその一条分は四枚の長裂地と三枚の短裂地からなっている。縦一条毎の裂地は、室町時代の能装束を思わせるように華麗で、色鮮やかな裂が使われている。長裂地は黄色地に鉄線花文、短裂地は紺地に椿文が、浮織の表現技法で刺繍のごとく織り込まれている。特に花弁の部分は、今もなお、緋・紺・浅葱・黄色・茶色などの色鮮やかな色彩を残している。また、牒と呼ばれる袈裟四隅の短片は、茶色の紗地に梅文様が施されている。袈裟の内側には、経糸のほころびを糸で繕った痕が、何か所も見られる。代々にわたって利用されていることがわかる。

 制作年代を確定するためには、染・織・文様等詳しく分析する必要があろう。袈裟の四隅の一部

 中世から近世にかけて、満願寺は無住の時代があったようだが、宇和島藩による近世村落寺院再編成により、宇和島佛海寺第一〇世湛巌治淵和尚(享保一二年・一七二七年寂)を開山とする妙心寺派寺院として再建したものである。


文化的景観
埋蔵文化財