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市指定有形文化財(建造物)
藩老桑折氏武家長屋門 一棟
城山北登城口にある門は、藩政時代宇和島藩の家老、桑折氏の長屋門として使用されていたもので(現在の桑折医院)、当時は、間口約三五m、奥行四・一mで、門扉一枚を見ても、縦三・一m、横一・三mという、実に立派なものであった。
終戦後、道路拡張の必要上、幸いにも戦災をまぬがれたこの門を移転することになり、桑折氏より市に寄付された。時の市長国松福禄氏は戦災復興事業費によって、現位置に移転することにし、地引工事によって、昭和二七年一月二五日完了した。
現在は移転場所がせまいため、向かって左方の大部分を切り取って、間口一五m、奥行四・一mとしたので、原形はひどく失われている。
門の向かって右室は馬屋で、左室は門番と家付の使用人はじめ、仲間・小者が居住していたものである。
この門の建造時期は不明であるが、屋根瓦の定紋等より、元禄一六(一七〇三)年以後に、桑折家が丸之内に屋敷替えとなった際に、改造せられたものではあるまいかと思われる。また腰板等は奥州より取り寄せたとも聞く。要するに江戸中期のものと推定することができる。
移築前(昭和26年頃)の長屋門