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県指定 瓶子

印刷用ページを表示する 記事ID:0002270 更新日:2015年7月1日更新

県指定有形文化財(工芸品)

瓶子瓶子 一口

  • 所在地 津島町高田
  • 所有者 高田八幡神社
  • 指定日 昭和四三年三月八日

 瓶子は現代「お神酒徳利」とも言い神前に捧げられる神器である(ただし平安・鎌倉時代には民間酒器にも使用された)。日本に到来したのは延長五(九二七)年に完成した「延喜式」の貢物の項に記載がある。また中国宋時代の梅瓶が渡来したのが始まりともいわれている。瓶子の出土記録には古くは一二世紀頃(平安時代)の出土が各地にあり、焼き物の産地瀬戸では一二世紀末より施釉陶器の生産が始まった。一三世紀後期(鎌倉時代中期)より一五世紀中頃(室町時代初中期)までに口頸部に突帯をつけた瓶子が盛んに作られている。

 高田八幡神社の瓶子も古瀬戸で、この頃(一四世紀初頭頃・鎌倉時代後期)のものと推定されている。作者や入手については記録がないのでわかっていない。所有する八幡神社は、往古より転々と場所を変え、現在地の得寿森にたどり着いたとされている。また、本社はこの界隈では一番大きい神社であったと考えられることから、この瓶子は中世における当地方の大檀那の寄進によるものとも考えられる。当初は一対(二口)であったであろうが現在は片方のみである。

 器形寸法は、車軸形の口頸部が細く、突帯が中位にあり、肩は丸ばりで、胴から腰にかけてわずかの丸みをもって細まる寸胴形、口節高二四・七cm、口径三・七cm、口高二・二cm、胴径一四・六cm、底径一〇cmである。

 模様は、四条の刻線が肩部に二箇所胴部に二箇所ある。作りは紐輪積に成形し轆轤の上で表面を滑らかにされているが腰径にはむらがある。強く焼き固められた陶器の肌には光沢があるが素材の粒子が散在する。色は淡緑色から浅黄色、灰釉地の上に美しい瀬戸灰釉が広範囲にとっぷり厚くかかり垂れが多い。胴部に接触痕と底部に灰釉がとれた痕がある。

 三段構成(肩・胴・腰)の均衡がとれた力強い形姿、中国風のたくましくどっしりとした重厚粗豪感の中に品格と古風さがある。


文化的景観
埋蔵文化財