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市指定有形文化財(建造物)
宇和島城上り立ち門 一棟
宇和島城の現存建造物は、天守と上り立ち門の二棟のみである。上り立ち門は、現在、城山南側の登城口として機能しているが、江戸時代の絵図によれば、豊後橋を渡り搦手門を経て、この門を通り天守へ登城していく搦手筋に位置することになる。
桁行(間口)三・六四m、梁間(奥行)二・一五mであり、武家の正門とされる薬医門に分類できるが、国内に現存する薬医門としては最大クラスの規模を誇る。創建年代の特定には至っていないものの、鏡柱・冠木は五平とし、内冠木には瓜剥丸太を使用している。そして二段の貫を有するといった古形式の特徴が見られる。また、控柱の科学的年代分析により永享二~享禄三(一四三〇~一五三〇)年以後に伐採された栂であることが判明している。これらの点から広島大学の三浦正幸教授は、創建が慶長元~六(一五九六~一六〇一)年の藤堂修築期まで遡る現存最古クラスの可能性を持ち、国の重要文化財としても遜色ない価値を有すると評価している。
現在の軒瓦は、軒丸が九曜紋、軒平が三葉文及び橘文で構成され、それぞれに複数形式認められることから、寛文四~一一(一六六四~七一)年の大改修を含め複数回の葺き替えが認められるが、それらに関連する記録は発見されていない。
この上り立ち門は戦後まで伊達家の所有であったが、城山や天守とともに、昭和二四年一月に市へ寄贈され、現在に至っている。
また、昭和五八年には屋根の全面葺替・鏡柱根元の修理・両袖塀の改修を、平成一八~一九年には屋根の全面葺替・門扉及び控柱根元の修理・両袖塀の改修を行っている。なお、両袖塀は、管理上備え付けた現代工作物である。
(注)五平=長方形に加工した木材のこと
宇和島城城下元禄の絵図屏風(宇和島市立伊達博物館蔵)