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市指定有形文化財(彫刻)
木造阿弥陀尊像 三躯
海蔵寺は、『津島町誌』に「廃寺となった寺院の中で、海蔵寺は庵寺として存在する」と見えている。
以前は本尊を「木造阿弥陀如来三躯」と呼んでいたが、今では「木造阿弥陀三尊像」と呼ぶようになった。
阿弥陀如来像も単独で祀られるが、脇侍といって、阿弥陀如来(中尊という)の左右に侍して衆生教化を助ける両脇侍を加えて、「阿弥陀三尊像」として祀る場合がある。海蔵寺の本尊は、この形で阿弥陀三尊像である。
その並び方は、阿弥陀如来を中尊として、その左側(向かって右)の脇侍に聖観音菩薩、右側(向かって左)の脇侍に勢至菩薩を配する。
この場合、中尊の阿弥陀如来の印相が来迎相(上品下生)であるから、来迎阿弥陀三尊像ともいう。この来迎阿弥陀三尊像の代表は、京都大原三千院阿弥陀三尊像(坐像)である。海蔵寺のような立像の来迎三尊像は、一二世紀の鎌倉期以後に多く造られるようになった。
海蔵寺の阿弥陀如来中尊像の印相は、来迎相で像高三六・五cmの立像。体型が整い、整然としたプロポーションで、金泥仕上げ。顔の表情も穏やかで、衲衣を足下まで伸ばし、裳との重なりが美しい。松葉式衣文の彫りや襞の流れに妙味がある。
厨子は簡素であるが、立派な蓮華座と舟形光背、いずれも金泥仕上げで中尊と調和している。
左脇侍の聖観音菩薩は、像高一八cmの金泥仕上げ。宝冠を戴き、小像ではあるが細部まできちんとした造りである。来迎相の阿弥陀三尊形式の場合、聖観音菩薩は死者の霊を戴くため、蓮台を両手で支えるように造られているが、その蓮台が欠損している。
右脇侍の勢至菩薩も像高一八cmの立像、金泥仕上げ。宝冠を付け、容姿も美しく、来迎阿弥陀三尊形式では胸の前で合掌していて、通常の脇侍スタイルである。合掌の柔らかな両腕、腰のひねりが美しい。
両脇侍とも、やや吊り上りぎみの細い目は、鎌倉時代期の作をあらわし、当時の中国の影響といわれている。
現在、市内の指定文化財のうち、中尊・脇侍そろって指定されている阿弥陀三尊像は、この本尊のみでたいへん貴重である。
(注)来迎相(上品下生)=右手を胸前に上げ、左手は前に軽く伸ばして、親指と人差指の先を接する。