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市指定有形文化財(彫刻)
木造阿弥陀如来坐像 一躯
少林寺は、宇和旧記に「石清山少林寺、本尊阿弥陀、開山不如」と見えるが、津島町誌では「応永二一(一四一四)年、鎌倉の兵火をのがれ全国行脚した古岸元陳禅師が少林寺を開基した」と記されている。
古岸禅師は、臨済宗建長寺派の本山鎌倉建長寺の要職にあった人である。求道悟達遍歴の道を選ばれ、「七峰七谷、三方水流れの三角屋敷」という立地条件の地に寺院を建立しようと、全国を行脚されたという。たまたま、この槙川の古寺に、その白羽の矢を立てられたのがこの少林寺である。
堂宇は、享保六(一七二一)年一一月、庄屋松岡六兵衛の尽力により、対岸の古寺屋敷より現在地に移され新築されたのである。
この阿弥陀如来像は、古岸禅師の持仏で少林寺を開基されたとき、その本尊として祀られたものと伝えられている。
単独で祀られている阿弥陀如来坐像は、坐高七〇cm、頭部・胴体部・脚部のバランスがよく、容姿が美しい。一木造か寄木造か不明だが、顔が大きく、やや怒り肩で胸部や腹部が張り、物量の圧力も彫りの軟らかさ、緻密さで抑えられている。
肉髻珠と白毫との対比が鮮明。玉眼ではなく、仏像特有の口髭が見え、耳たぶが長く肩に届くほどである。
印相は、両手を胸の前に合わせた、上品中生の説法印である。説法印の阿弥陀仏は、この近郷では珍しい。平安時代前期(八〇〇~一〇〇〇)に説法印の造像が多い。
坐り方は、左の足裏を見せた降魔坐による半跏趺坐で、如来像としては珍しい。
衲衣は偏袒右肩に着つけ、裳もの裾を中央にまとめ、台座の蓮肉の上に流している。彩色は、もと金箔で黄色相を装ったものと思われるが、金箔がまだらに剥落したあと、褐色で彩色したのが惜しまれる。
台座は、八角形の框の上に裳懸座・反花・蓮華蓮肉と重ねて五六cmの高さである。この台座の格調は、八角形の裳懸座付きであること。その裳衣文は、松葉式も交えた豪華な彫りである。
円光背は、雲をからませて装飾し、光心をもち、金泥仕上げで華やかである。
本尊阿弥陀如来像の御開帳は、享保六年一一月より三三年後毎と定められ、現在もその律は守られている。少林寺開基の「前住建長当山開山古岸元陳和尚大禅師」を祀る日切堂は、今も香華が絶えない。