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市指定有形文化財(彫刻)
木造阿弥陀三尊像のうち中尊立像 一躯
成福寺は、正法寺の末寺で、来迎相の阿弥陀仏を安置することから、来迎院とか阿弥陀堂とも称されている。
正法寺に伝わる古文書によると、「聖武天皇ノ御宇天平年己巳(七二九)行基菩薩此ノ三仏像ヲ彫刻シ御堂ニ安置シ玉ウ」とみえている。
しかし、昭和三七(一九六二)年この仏像を鑑定された京都市立美術大学佐和隆研教授は、室町初期の作で、時代的にも価値あるものとされた。また、胎内仏の可能性があるとも言われている。
中尊は、像高九九cmの立像、寄木造。螺髪・唇に後補の彩色がある。肉髻が低く、玉眼。左肩左腕は衲衣が覆い、延びた衲衣は右腕も覆っている。少し盛り上がった上腹部を覆い隠すように衲衣が足もとに長くのび、衲衣の下から裳がのぞいている。衲衣や裳の彫りが浅いので、衣文のひだが浅く、すうっとしている。
両足を軽く開いて、蓮華座に立ち、輪光を背負い、来迎印(上品下生)の印相を示す手は、後補のものである。
両脇侍とも六〇cmの立像。軽く膝を曲げ、聖観音菩薩像は、両手で蓮台を頂き、勢至菩薩像は合掌していて、来迎阿弥陀三尊像の場合の脇侍のスタイルである。平成一八年九月愛媛大学小沼大八教授の鑑定では「ただ、両脇侍の過度な彩色の補修が惜しい」とのことで、指定文化財にはならなかったが、彫像そのもののすばらしさを欠くものではない。
立像の阿弥陀三尊像は、鎌倉時代以降に多く造られるようになった。