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市指定 木造地蔵菩薩立像

印刷用ページを表示する 記事ID:0002383 更新日:2015年7月1日更新

市指定有形文化財(彫刻)

木造地蔵菩薩立像の画像1木造地蔵菩薩立像 一躯

  • 所在地 吉田町立間
  • 所有者 大乗寺
  • 指定日 平成二二年七月七日

 大乗寺は、その創建年代や由緒など不詳であるが、伊達宗純の入部ののち、万治二(一六五九)年に伊達家の菩提所となる。爾来吉田郷第一の名刹、禅道場として著名である。

 この大乗寺に祭られている地蔵菩薩像には霊験があり、旱魃の田圃に一夜にして水を溜めて農民を救ったので、「水引地蔵」と呼ばれた。また、老比丘尼に化身し、野盗を教え諭して悪業から手を引かしたので、「尼地蔵」とも呼ばれ郷民から尊崇されてきたと吉田古記に見える。

 この「水引地蔵」・「尼地蔵」こそ、大乗寺地蔵堂の須弥壇に安置されている像高、実に二五一・八cmを誇る巨像の地蔵菩薩である。桧材の木造で、造りは寄木造の立像、彫眼で彩色(後補)である。

 像の背面中段に縦三六cm、横二四cmの窓と、その下に縦一四・五cm、横一二cmの二つの窓を切る。胎内は、荒く削った木地のままである。

 額の白毫は水昌。切れ目の長い黒眼。口元に気品があり、口紅が鮮やかである。両手首先や足先を矧ぐ。地蔵像では珍しく沓履である。

 からだ全面に布張りして、錆下地に彩色を施し、通肩の衲衣と袈裟をまとう僧形。金色の唐草模様で八区に仕切られた袈裟には、草花、花輪が描かれ紅白の彩色が鮮やかである。さらに、裳の裾には輪宝がデザインされて芸の細かさを見せている。持物、光背、台座、瓔珞はいずれも後補によるものである。

 この地蔵菩薩像の制作時期は、鎌倉時代中期で色着の銘とされる弘安元(一二七八)年頃か、とされている。文化庁奥健夫調査官は、「鎌倉中期から各流派(円派・院派・慶派)の作風がやや似てくる傾向はあるが、この顔や耳のつくりなどから慶派の特徴が感じとれる。」と評価されている。

 胎内には、宝永六(一七〇九)年の文書、宝暦八(一七五八)年の地蔵菩薩の巻子、近年以降のおよそ一二~一三点が納まっている。

木造地蔵菩薩立像の画像2 評価として、長八尺に及ぶこの地蔵菩薩像は、近郷唯一の巨像で、保存状態も良好であり、内部構造の上からも参考となる文化財である。

 なお、延宝四年の後補(彩色など)により、制作当時の外見とは異なったが、補修後三三〇余年を経た今日でも、その美術的価値を損せず、デザイン、絵画、彩色の技法の上からも貴重な美術品でもある。

 さらに、文化庁では、「本地蔵菩薩像は、鎌倉時代中期の傑作であり、保存状態も非常に良く、県指定クラスの仏像である。なお、『吉田古記』に記録されている銘文が解明されれば、国指定重要文化財の可能性がある。」と評価している。


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