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市指定有形文化財(彫刻)
木造千手観音立像 一躯
この像を所有する補陀山宗昌寺は臨済宗妙心寺派に属し、立間尻にある海蔵寺の末寺である。海蔵寺一世の普覚和尚が隠居寺として寛文一一(一六七一)年に開いたと伝えられている。
像は欅造りの重厚な厨子に安置されているためか保存状態がきわめてよく、温和な顔立ちの金色美しい木造十一面千手観音立像である。よく均整がとれた菩薩像の造りは洗練されており、光背や台座もきわめて細緻に造られている。
像高約一〇〇cm、厨子高一五〇cmである。
製作年代は、裳に模様が施されていたり、瓔珞(アクセサリー)や持ち物、光背や台座などに手のこんだ工芸的な造りがみられるところからいって、江戸時代の作であろう。このように細部に巧緻な技をふるう工芸的な作品が多くみられるのが江戸時代の作品の特徴のひとつである。
この菩薩が安置されている厨子の金属の留め金には、吉田伊達家の紋章が刻まれていて、初代吉田藩主伊達宗純が寄進したと伝えられている。この厨子は分厚い欅材で造られた簡素なものではあるが、なかなかの作品であり、厨子本体の所々に属製の伊達家の紋章が入っている。このことなどもまた、この菩薩像が江戸時代の作であることのひとつの傍証となろうか。
伊達秀宗公の宇和島入国の折、途中難産で苦しむ奥方に霊験を給わりしとの伝承により、古くから「子安観音」としてあがめられ、現在でも安産祈願の参拝者が訪れる。
毎年八月九日の縁日祭と元旦の年二回のみ開帳される秘仏である。
伊達家の家紋が入った厨子