ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 新宇和島の自然と文化 > 市指定 木造延命地蔵菩薩立像

本文

市指定 木造延命地蔵菩薩立像

印刷用ページを表示する 記事ID:0002252 更新日:2015年7月1日更新

市指定有形文化財(彫刻)

木造延命地蔵菩薩立像木造延命地蔵菩薩立像 一躯

  • 所在地 吉田町牛川
  • 所有者 西福寺
  • 指定日 平成一一年九月一〇日

 この像は、牛川地区にある地蔵堂南海山西福寺の本尊である。この地区は吉田湾から海岸沿い西方立目漁港に面した七〇世帯余の小地区である。江戸時代は南君浦に属していた。古くは立昌寺(曹洞宗)の末寺のようであったが、江戸期には天台宗に属し聖護院末寺となり、旧浦全体の祈祷寺であったと思われる。

 地元では、この像は藤原純友の守り本尊として伝承されているが確証はない。また一方土佐久札城主佐竹氏が譲り受けた一条家ゆかりの仏像との伝承もあるが、これも明確に裏付けられる史料は今のところはない。

 平成八年、地蔵堂改築の際にこの像は他の像と共に修復された。補修以前は像容が現在とは異なり、頭部には白、胴体部には金、緑を主とする顔料が厚く施されていたため、像本来の姿を確認できなかったことや、年一度の開帳以外、公開されない秘仏だったことなどの理由で、この像は文化財として全く知られていなかった。修理時に厚塗りされていた顔料を洗い落したところ、材質はヒノキ材で、造像時には鍍金が施されていたことが確認された。

 像容は、上半身に大衣と偏衫を、下半身には裾をつけている。大衣は右肩に衣端を懸ける偏袒右肩衣とする。両腕を屈臂し、左手には宝珠、右手には錫杖を持つ(持物は後補か)など、通形の地蔵菩薩である。頭光背は、宝珠輪光で、円輪光の輪上に三か所宝珠を加えている。この形は時代的には鎌倉時代以降に限られており、後補と思われる。台座は、蓮華座で、蓮華弁の反りが大きく、江戸時代以降のものと思われ、その下には緑青で彩色の施された岩座があるが、これも後補であろう。

 像本体の高さは九七cm、光背の高さ一一八cm、総高一五五cmである。

 本像の製作技法は、一木から彫り出されたのち、前後に割り離し、内刳りをしたのち、再びはぎ合わせて製作されるという割矧造であり、頸部は割首技法である。

 像の制作年代は、銘が見当たらないので正確な年代は特定できないが、割矧造であること、眼が彫眼がであること、頭部の内側部分の刳り方が荒いこと、衣文が藤原時代の様式を示していることなどを総合すると、平安時代後期から末期の製作と推測することができる。

 本像は毎年八月二三日の地蔵盆に開帳されており、安産、授乳のご利益があるといわれ、また延命地蔵尊として地区内外から信仰されている。


文化的景観
埋蔵文化財