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市指定有形文化財(絵画)
絹本着色十六善神畫像 一幅
十六善神は般若経を受持し読誦する者を守護する一六体の護法夜叉善神をいう。こうした画像をわが国に初めてもたらしたのは空海だと言われている。十六善神画像は禅宗寺院で、新しい年に行われる大般若転読法会の本尊の前にかかげるものとされている。金龍寺所蔵の画像は長さ九七cm・幅三八・五cm。画幅の上部には天蓋と中央に大きく描かれた釈迦如来坐像がある。その下に文殊・普賢の二菩薩、最も下部の左右に玄奘と深沙大将が描かれ、十六善神は左右にそれぞれ八体が仏・菩薩を守護するかのように描かれている。
画幅の裏面には
奉寄進 十六善神画像一幅
覚雲禅寺
施主
前藝州太守月秀覚雲居士
花山妙榮大姉
干時天正十年壬午六月如意珠日敬白
と記された紙が貼付されている。(天正一〇年は一五八二年)
金龍寺に遺されている位牌には表に「三寶寺殿前藝州太守秀山覺雲大居士・天澤院殿華山妙榮大姉」と刻され、裏には「天正八庚寅十月廿七日 越智朝臣通顕公」とある。これを見るとこの十六善神晝像は、両人の没後、名義を両人にして寄進されたものと思われる。しかしこの位牌の「通顕公」については、天正一〇年に通顕が高田八幡神社再建をしたという棟札等から「通繁」(通顕の兄)の誤りとする説もある。
安永五(一七七六)年、照源寺(松野町)の慶快の書いた「十六善神由緒書」によると、安永五年の時点では照源寺にこの画像があると言っている。いつなぜ覚雲禅寺(三宝寺)から照源寺に移ったか、また、現在金龍寺にあるのはなぜか等については謎につつまれたままである。
愛媛県立美術館の長井健主任学芸員によれば、「十六善神の顔貌表現は、親しみやすい雰囲気と、茶・緑・代赭(赤茶系の肌色)を基本にした落ち着いた色調等が室町後期から桃山期頃の仏画以外の世俗絵画にも共通している点がある。また十六善神の現存例は鎌倉・南北朝期の作が多いが、それに比べると表現が穏やかで、時代の降下を感じさせる。以上の特徴などから裏面の書附にある天正十年頃の作と見ることに違和感はない」ということになる。いずれにせよ、この金龍寺所蔵の十六善神晝像は中世末期の貴重な作例といえよう。
裏面に貼付された書付