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市指定 当山略図

印刷用ページを表示する 記事ID:0002241 更新日:2015年7月1日更新

市指定有形文化財(絵画)

当山略図当山略図 一帖

  • 所在地 三間町宮野下
  • 所有者 白業寺
  • 指定日 昭和五五年一一月三日

 この絵画は、関東地方から絵の修行に回国していた浦田仁(りっしんべんに喜)軒が、白業寺の陽谷和尚に依頼されて、弘化三(一八四六)年中秋に「当山略図」として描いたものである。初めは指定名称を「絵地図」としていたが、平成五年に「当山略図」と改めた。

 絵は、縦六一cm、横九九cmの和紙に彩色で描かれている。白業寺を中心に寺山の風物や三嶋神社をはじめ赤道や宮野下の町並みが整然と描かれている。加えて往来の人物や家畜に至るまで往時の風物詩が、にぎにぎしく描き出されている。略図とはいいながら細かな素描と筆の使いようである。多くを描いているけれども構図がよく、均整がとれている。

 白業寺は、茅葺、入母屋造でどっしりと立派に描かれ、境内東には花の咲いている竹やぶ、西は桜を中秋であるのに開花させて、白業寺を謳歌している。寺下の貯水池、恵比寿神社、広い三嶋神社の参道には、鳥居や松並木がしっかりと描かれている。

 宮野下の町並みは、東に三間屋、西に酒造の建物の間に一五軒の商店を配し、道脇の戸を全開して商品を見せる細かい表現である。南西側の連子窓のついた瓦葺長屋は、吉田藩庁とかかわり合いのある建造物であろうか。

 町並みで特筆されるのは、吉田藩が大火の頻発する宮野下に町制を布き、文政五(一八二二)年には「居宅たりとも瓦葺勝手次第」となった。故に、天保五(一八三四)年の大火後の宮野下町並みは、この絵のように瓦葺家並みで整然となった。なお、色調の特徴として白壁の白色が際立って見えるのは、白絵具の上に胡粉の類を塗り重ねていると思われる。

 この絵画には、白業寺山主陽谷和尚による七律体の画讃が入れられている。

艶陽満樹櫻花綻 艶陽樹に満ちて 桜花綻び
図趣到頭擬写画 図の趣 到頭 写画に擬らう
多忙将思不断事 多忙なりと将に思ふ不断の事
一箇合謂尋筆僧 一箇合に謂う 筆僧を尋ぬ
日長閑暇朝愛遅 日は長くして閑暇 朝は遅きを愛す
峰月禅呼夕栄泉 峰月禅は呼 夕の栄泉
何涼殷々楽鼓響 何ぞ涼しき殷々たる 楽鼓の響き
若護吾可第庵神 若し護らば 吾は第庵の神たる可し


文化的景観
埋蔵文化財