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市指定 紙本金地著色高士交歓図

印刷用ページを表示する 記事ID:0002240 更新日:2019年3月12日更新

市指定有形文化財(絵画)

紙本金地着色高士交歓図の画像1紙本金地著色高士交歓図 一帖(伝狩野松栄筆六曲屏風)

  • 所在地 御殿町
  • 所有者 (公財)宇和島伊達文化保存会
  • 指定日 昭和四九年二月一二日

 織田信長が建てた安土城の内部が、狩野永徳らの手で装飾され、その豪華絢爛さは人々を驚かせた。以来、壮大な建造物にふさわしい金箔を貼りつけた画面に、濃彩で描く金碧様式の装飾画が、次々と描かれ、金碧障が屏画と呼ばれている。

 障屏画のうち、金碧花鳥図は、正式儀式などが行われる大広間に、人物・風俗画は、内向き対面などの場に多い。水墨画を基調とする山水図・人物図は奥向き個人的な場に選ばれている。

 本図は、縦二二九・八cm、横四九五・二cmで、中国における帝王のエピソードと考えられ、儒教の教えに基づく君主のあり方、行いを示している。対面所にふさわしいものといえよう。

 この図は、狩野松栄筆と伝えられている。松栄の父は狩野元信で、永徳は子である。徳川二代将軍秀忠より宇和島藩祖秀宗が拝領した伏見城の遺物を、後に屏風に改装したものと伝えられる。

 伏見城の遺物、あるいは伝狩野松栄筆ということについては、今後の研究に待たねばなるまい。しかし、床の市松模様や、かっちりと描かれている色とりどりの屋根瓦などは、狩野派の伝統的形式が見られる。

 なお、表装が同じ市指定有形文化財の「紙本金地著色花鳥図」と同じ裂地が使われているので、ともに江戸末期に仕立てられたものであろう。ただし両図を比べてみると、金雲のくまどりの大きさなどが違っているので、制作年代は異なっているものと思われる。

紙本金地着色高士交歓図の画像2


文化的景観
埋蔵文化財