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国選定 重要文化的景観
遊子水荷浦の段畑
【パンフレット】 [PDFファイル/2.88MB]
【動画】えひめの動画(YouTube)
水荷浦は、豊後水道に向かって延びる三浦半島の北岸から、さらに宇和海及び宇和島湾に向かって分岐する岬のうち一つの小さな岬の小集落である。岬の東南側に当たる集落背後の急傾斜面には、等高線に沿って小さな石を積上げて壮大な雛壇状の畑地が形成され、「段畑」と呼ばれている。
水荷浦が位置する三浦半島の周辺は多島海、溺れ谷などから成る顕著なリアス式海岸で、急峻な急傾斜面と深い海域からなる独特の地形を持ち年間を通じて少雨であり、特に冬季には西からの季節風が強く吹き付けるという地域特性がある。
段畑は、最も高い所で標高約六〇m、平均勾配が約四〇度で、その段数は五〇段余を数える。畑地の縁辺を成す石積の高さは平均一m以上にも及ぶ。石積の随所には登降用の石段があるほか、左右の両端には耕作者が登降するための通路と大雨の時の排水路を兼ねた石組の溝が設けられている。乾燥した土質に基づき、全体として精巧な構造を維持しており、耕作者による除草等の管理状況もきわめて良好である。
段畑を含む周辺地域は、地域発展の歴史に関する土地利用の変遷を示している。江戸時代後期にムギ、サツマイモの栽培が始まり、明治時代の養蚕の興隆によりクワの栽培へと変化したが、食料・アルコール製造を目的として大規模なサツマイモの栽培へと発展し、昭和三〇年以降は、柑橘類の栽培へと大転換した。その後、多くの段畑は耕作放棄地となったが、現在、集落に接して僅かに残された段畑では主としてジャガイモの栽培が行われ、地域住民による段畑の再生事業が進められている。
昭和三〇年代まで沿岸海域で行われてきたイワシ漁のみならず、イワシの不漁に伴って宇和島湾内で発展したアコヤ貝の養殖による真珠生産、その後のハマチの養殖業は、それぞれ段畑における農業と、地域の生業を相互補完的に維持するのに寄与してきた。
以上のように「遊子水荷浦の段畑」は宇和島沿岸の急峻な地形や強い季節風など地域の風土とも調和しつつ、近世から近現代に至るまで継続的に営まれてきた半農半漁の土地利用のあり方を示す独特の文化的景観であり、わが国民の生活又は生業を理解するうえで欠くことのできないものであることから、重要文化的景観の選定を受けた。そして現在、官民一体となって保存と継承を進めている。
上空からの水荷浦 平成18年4月撮影