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市指定 吉田藩御舟手御用井戸

印刷用ページを表示する 記事ID:0002339 更新日:2015年7月1日更新

市指定記念物(史跡)

吉田藩御舟手御用井戸吉田藩御舟手御用井戸

  • 所在地 吉田町御舟手
  • 所有者 個人
  • 指定日 昭和四九年三月一日

 明暦四(一六五八)年一月、吉田陣屋町の造成を開始した初代藩主宗純は、立間尻浦分横網代一帯に、藩の水軍基地である御舟手を建設した。

 御舟手は、御巣屋と称する御用舟の繋ぎ場や船材蔵などを設備した港と、御舟手役所を中心とし、これに御船頭や御水主組の屋敷・御長屋を配備した南小路すなわち居住地区とにわかれていた。

 港のほうは、大正年代における横網代築港や、昭和四七年に開通した国道五六号の改修工事によって、往時の姿を完全に失ったが、南小路内には、現在もなお御水主組長屋の面影を一部に存するほか、御船頭高月古左衛門邸前広場の御用井戸が残っている。

御舟手見取図(文久の絵図) 御用井戸は、汐濡れした御船道具の洗い場にあてられていたといわれている。

 井戸の規模は、一辺が六・八mの方形の敷地のほぼ中央に、直径約二m、現在の水深三・一m、水面より天端(石積みの最上部)まで一・二六mで、井戸の深さは計四・三六mの浅井戸である。現在でも約一〇tもの水を常時蓄えている。

 石組みは、粗加工した石を用いた打込ハギで、布目崩し積である。円形の井戸では、石垣隅角稜線と勾配(矩)がなく、ほぼ垂直に積み上げている。

 天端石のありようが変わっていて、東・南東部は、築石よりも大きく、どっしりした天端石七個と間石一個で仕舞をつける。対する西・北西部は長さ各一三〇cm、幅二八cmと五五cmの切り石二個を持ち送って天端石としている。西部には、台形状の大きい自然石の踏石を置いている。

 さすが、吉田藩御舟手御用井戸だけに、貫禄のある古井戸である。


文化的景観
埋蔵文化財