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市指定 萬年橋の碑

印刷用ページを表示する 記事ID:0002329 更新日:2019年3月11日更新

市指定記念物(史跡)

万年橋の碑萬年橋の碑

  • 所在地 滑床
  • 所有者 松野町
  • 指定日 昭和三八年二月一一日

 旧宇和島自動車滑床線の最終に近い萬年橋のそばに巨大な自然石の碑がある。これが萬年橋の碑である。

 宇和島藩では、土佐の幡多北部の物資を搬送利用しようとして、今の宇和島市野川から梅が成、滑床渓谷を経て、目黒に至る新しい道路を建設しようとした。天保一〇(一八三九)年一一月着工、延べ八三〇〇人の人夫を使い、天保一一年六月に完成した。しかも、その費用はことごとく町家の有志が出した。この道は石を敷いたところが多く、荷をつけた馬も通行が容易になって、地方の開発振興に役立つことが大きかった。

 萬年橋の碑は、道路開通を記念して、その由来を記録するため、萬年橋のそばの大きな岩を利用して刻まれたもので、その碑文と書は、当時の金剛山大隆寺の住職晦巌和尚の手になるものである。

 この碑文の横には工事の計画、監督に当たった町奉行水野八左衛門、山奉行宍戸次郎兵衛、宍戸平六以下藩の役人九人と、工事に協力した町総年寄清家三郎左衛門、居村九兵衛、町頭内山助右衛門、長滝貞兵衛、堀部徳之丞、石崎忠八、三原嘉左衛門など四〇名の氏名を記録している。

 地方の交通史、産業史上貴重な資料であり、その規模、内容、筆者とすべて価値あるものである。

万年橋碑文 書き下し文


文化的景観
埋蔵文化財