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令和5年度 華宵の部屋
(企画趣旨)
2023年は華宵の⽣誕135年にあたります。明治21年に宇和島裡町(現在の宇和島市中央町)で⽣まれた華宵は、明治35年から画学⽣として⼤阪や京都で⽇本画を学びます。その後上京し、明治44年に婦⼈漢⽅薬「中将湯」の広告絵を描きはじめます(昭和7年頃まで)。これが華宵の挿絵画家としてのスタートと⾔っても良いかも知れません。⼤正2年に『講談倶楽部』(講談社)に挿絵を描き始めると、その後は『少年倶楽部』『⾯⽩倶楽部』『婦⼈倶楽部』『少⼥倶楽部』と講談社系列の雑誌(全9冊)に挿絵や表紙絵、⼝絵を描き、その名前は全国に知れ渡って⾏きます。他にも『⽇本少年』『少⼥画報』『婦⼈世界』『主婦之友』など数多くの雑誌に作品が掲載されています。雑誌関係の作品だけでも2,000点は下りません。
⼤正末期からは「華宵便箋」というグッズが複数の便箋会社から発売され始めます。便箋の表紙絵、便箋⽤紙、封筒のデザインを華宵が⼿がけました。全部で200 種類以上の便箋が作られています。他にも「華宵浴⾐」と呼ばれた浴⾐の図案意匠、呉服屋や百貨店とタイアップしての着物図案を⼿掛けるなど、ファッションデザイナー的な仕事も⾏なっています。加えて商品ポスター、書籍装丁、双六図案などグラフィック関連の仕事も幅広く残しています。
今回の展⽰では、⾼畠華宵が残した業績をジャンルごとに総花的にご紹介していきます。そこに込められた華宵の美意識や⼤正時代の感性をご堪能ください。 (高畠華宵大正ロマン館)
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