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宇和島は、日本一、二を誇る早さで桜が咲きます。春の訪れをいち早く感じられる宇和島に、「春山(しゅんざん)」と号する藩主がいました。その藩主は、宇和島藩7代藩主伊達宗紀です。宗紀は、弘化元(1844)年に55歳で隠居すると、春山と号し、「天赦園(てんしゃえん)」(現在は国名勝)で余生を過ごしました。
宗紀は、100歳(公式年齢※)まで生きた長寿大名としても知られています。明治22 (1889)年5月から行われた100歳祝いでは、花火などの催しがあり市中も大いににぎわったようです。また、宗紀は書道にすぐれ、100歳になるまで多くの書を残しています。
宗紀は、寛政4 (1792)年9月16日、宇和島藩6代藩主村壽(むらなが)の長男として誕生しました。しかし、側室の子どもであったため、正式な伊達家の跡継ぎとなるまでには紆余曲折があったようです。跡継ぎとして正式に幕府の承認を得たのは21歳の時、7代藩主を継いだ時には、35歳になっていました。
本展では、隠居後の宗紀の様子や100歳祝いに関する資料のほか、宗紀が藩主となるまでの経緯や、鍋島家から輿入れした宗紀の正室観姫(みよひめ)ゆかりの資料なども紹介します。100年を謳歌した宗紀の人生の一端にふれ、またこれから迎える春を楽しむ気持ちでご覧いただければ幸いです。
※公式年齢(官年):近世武家社会において幕府や主家などの公儀に対して届けられた公式な年齢。
明治22(1889)年、宗紀が100歳となったことを祝し、能、生け花、闘牛、書画展 など、宇和島の町全体でも様々な催しが開かれたようです。また、親しい大名や文化人からお祝いの品が贈られたり、離れてくらしていた親族もお祝いにかけつけてくれました。
第1展示室では、宗紀の長寿祝い、100歳祝いに関連する資料を紹介します。また、号「春山」にちなみ、「春」を感じられる桜があしらわれた資料も展示します。当時のお祝いムード漂う品々をご紹介します。

宗紀は100歳で書を残すほど、亡くなる直前まで筆をふるっています。残された宗紀の書からは、年齢を重ねる度に筆の勢いが増しているようにさえ感じられます。能書家としての活躍や隠居後の様子から、悠々自適な暮らしぶりがうかがわれますが、 宗紀の生い立ちを振り返ってみると、藩主となるまでには少し複雑な事情があったようです。
第2展示室では、宗紀の生い立ちに関する記録のほか、宗紀の正室観姫ゆかりの資料、宗紀の書や隠居所の様子、そして伊達家の家紋をモチーフに作成された宗紀所用の大鎧を展示します。

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