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華宵の部屋2020

印刷用ページを表示する 記事ID:0051933 更新日:2020年9月26日更新

 

華宵の部屋

令和2年度 華宵の部屋

 「華宵の部屋2020」 時代の寵児誕生前夜 1910年代の華宵

 

 (企画趣旨)

  本展は宇和島市出身で大正から昭和初期にかけて挿絵画家として人気者となり、一世を風靡した高畠華宵の初期(1910年代)の作品を紹介する展覧会です。

  明治36年から京都市立美術工芸学校で日本画を学んだのち、華宵は画家としての道を見いだせずにいました。明治39年に上京してからも、御伽芝居に出たり、日雇い労働に従事したりするなど将来の見通しが立たないまま時間が過ぎていきました。華宵が注目されるようになるのは、明治44年から描き始めた婦人薬「中将湯」の新聞広告によってでしたが、華宵の広告絵を見た講談社の編集者が、華宵を挿絵画家として起用し始めたのが1913年(大正2年)。『講談倶楽部』の3月号からでした。その後『少年倶楽部』(大正3年から)『面白倶楽部』(大正5年から)『婦人倶楽部』『現代』(共に大正9年から)と、順調に活躍の場を広げていきました。

  現在では華宵は「大正ロマンの画家」としてメランコリックで抒情的な少年少女の作品イメージが定着していますが、華宵の、華麗でモダンな作品イメージが完成するのは大正14年(1925年)前後です。それまでの華宵は、前述の講談社の雑誌(主に大人向けの雑誌)に挿絵を描いていました。この頃の作品、やや太めの線描で描かれた人物からは、リアルな艶かしさや時代特有の寂寥感が感じられます。この時期、華宵は自己の作画スタイルを確立しようとしていたのでしょう。人物の顔の描写も色々なパターンで描いています。また人物以外のテーマで雑誌の表紙絵を描いていた(『面白倶楽部』)のもこの時期です。

  今回の展示では、「大正ロマンの画家」としての個性が確立される以前の作品や家族あての書簡を主に展示します。1920年代以降、時代の寵児となった華宵の画風確立までのあゆみ(1910年代)をご覧ください。

 

 

 第56回華宵の部屋2020

  • とき       令和2年9月26日(土曜日)~令和2年12月20日(日曜日)
  • ところ  宇和島市立歴史資料館