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8/4配信
~宇和島の歴史文化~
みなさんは宇和島の歴史や偉人について、どのくらい知っていますか?
宇和島は、1615年に伊達政宗の長子“秀宗”が入部して以降250年余りの長きにわたり、伊達十万石の城下町として栄えてきました。
宇和島藩では、藩士に対する教育を重んじ、1748年、5代藩主“村候(むらとき)”の時代には、優秀な人材を養成する“藩校”を設立、以後、文武奨励を推進します。
また、7代藩主“宗紀(むねただ)”、幕末の四賢候の一人と言われた8代藩主“宗城(むねなり)”の時代には、蘭学を積極的に導入して医学や兵学の研究にも力を入れ、ペリーが来航した6年後の1859年に、宇和島藩の自力で純国産の蒸気船を建造するという偉業もなしとげています。
著名な歴史小説家 “司馬遼太郎”さんの小説『花神』の中にある「蘭学は宇和島という評判がすでに先代藩主伊達宗紀のときから世にひびいていた」という一節からも、当時の宇和島が蘭学の名門として知られていたことがうかがえます。
宇和島から日本の歴史に名を残す偉人を数多く輩出しているのは、教育に熱心で、固定観念にとらわれず新しいものを取り入れてきたという歴史的背景があるからかもしれませんね。
そこで今年度は、『宇和島の歴史文化』と題して、宇和島出身の偉人を市内のゆかりの場所とともにご紹介します。
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