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宇和島の人~佐竹 祝子 さん

手と手でつながる人の縁
手話サークル はまゆうの会
のりこ
佐竹 祝子 さん
Profileプロフィール
愛媛県鬼北町(旧広見町)近永の生まれ。河野整形外科クリニックで看護師として長年に渡り勤務。
聴覚に障がいのある患者さんとコミュニケーションをとりたいとの思いから、手話に興味を持ち、1987年に手話サークルはまゆうの会に入会し、手話を学び始めました。
その後、よりきめの細かいサポートをしたいという思いからケアマネージャーの資格も取得。
看護師資格のある手話通訳士としては、愛媛県第1号。
手話通訳士、手話講師、ケアマネージャーとして活躍中。
想いを伝える
看護師として勤務する中で、聴覚に障がいのある患者さんとの出逢いがありました。
本当に伝わっているのか、コミュニケーションが適切に行われているのか、不安を感じたことがきっかけで、手話の勉強を始めました。
その後、介護保険制度が始まり、訪問調査の通訳を勉強しているうちに、相談者の想いや希望をスムーズにつなぐことができればと感じ、ケアマネージャーの資格も取得しました。
本当に伝わっているのか、コミュニケーションが適切に行われているのか、不安を感じたことがきっかけで、手話の勉強を始めました。
その後、介護保険制度が始まり、訪問調査の通訳を勉強しているうちに、相談者の想いや希望をスムーズにつなぐことができればと感じ、ケアマネージャーの資格も取得しました。

もし手話と出会っていなかったら
入会した時の手話サークルの会長さんがとても良い方で、今まで続けることができました。
手話がなかったらどんな人生を送っていたかなぁと時々思うことがあります。
手話を通じていろいろな人と出会い、さまざまなことを学ばせていただく中で、自分自身が成長できたのだと感謝しています。
うまく通じなかった時はその都度落ち込みますが、また勉強しようと奮起します。
人との出会いが大好きなので、苦にはなりません。
手話がなかったらどんな人生を送っていたかなぁと時々思うことがあります。
手話を通じていろいろな人と出会い、さまざまなことを学ばせていただく中で、自分自身が成長できたのだと感謝しています。
うまく通じなかった時はその都度落ち込みますが、また勉強しようと奮起します。
人との出会いが大好きなので、苦にはなりません。

次世代へつないでいく
ある時小学4年生の福祉学習で手話を教える機会がありました。
その時の児童の一人が「将来手話通訳士になる」という夢を持ち、ろう学校の先生になりたいと頑張ってくれていて、その気持ちとがんばる姿にとても励まされています。
この子たちが将来宇和島で活躍してくれたら本当にうれしいですね。
その時の児童の一人が「将来手話通訳士になる」という夢を持ち、ろう学校の先生になりたいと頑張ってくれていて、その気持ちとがんばる姿にとても励まされています。
この子たちが将来宇和島で活躍してくれたら本当にうれしいですね。

穏やかな時をともに過ごす
いつかは聴覚障がい者の方々の終の棲家を作れたらな・・と思います。
ご家族がいない方が人生の最期をひとりぼっちで迎えるのは淋しいのではないかと・・。
古民家などでもいいので、聴覚障がい者同士で、みんなで楽しく過ごして、それに自分も係わっていけたらと思います。
幼い頃にろう学校の寄宿舎で過ごした仲間と、同じ屋根の下で穏やかな時間を過ごすことができたら素敵だと思いませんか。
ご家族がいない方が人生の最期をひとりぼっちで迎えるのは淋しいのではないかと・・。
古民家などでもいいので、聴覚障がい者同士で、みんなで楽しく過ごして、それに自分も係わっていけたらと思います。
幼い頃にろう学校の寄宿舎で過ごした仲間と、同じ屋根の下で穏やかな時間を過ごすことができたら素敵だと思いませんか。
