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宇和島の人~MIMAMEN FARMERS

三間で農作物と未来をつくる 三間町農業グループ
MIMAMEN FARMER'S
阿藤 亮 さん 高山 英久 さん
安波 智延 さん 奥山 功典 さん
Profileプロフィール
三間町を拠点とし農業の普及に取り組む、2014年結成の農家グループ。メンバーそれぞれがキャベツや春菊などの生産、販売をするほか、保育園や小学校への食育活動も行っています。三間町金銅には無人の野菜直売所「Labo」をかまえ、新鮮、信頼を強みとしています。さらに、若手である「MIMAMENブラザーズ」も結成し総勢11人で活動をしていて、現在は、飲食店向けへの販売計画にも力を入れています。
ひとりで農業はできないから
仕事終わりに草野球をやるような、そんなイメージでできたらと思ったんです。
人口が減っていく宇和島市は、市外、県外に売っていかなければ売り場がない。しかし、売り場へと物を送るには、それだけでコストがかかってしまう。ひとりだと、契約もできない、何をしていいかもわからない、アイデアも術もない。だからまとまってやる。友達と話しながら、同じ悩みを共有し合えるのも大事でしょ。ゆるい付き合いだけれど、ぼくたちは個々の長所を生かし合い、お互いが成長し合えるグループであれたらと思うんです。
新たに「MIMAMENブラザーズ」という、ぼくたちよりも若いグループも結成しました。年とともに廃れていくのではなく、仕組みや思いはかたちに残して、新しく、若い人たちの発想で次世代に繋げていけたらと。方針に捕らわれないぼくたちなら、コピーもできるし新しいことにも挑戦できる。メンバーそれぞれの目が輝いていることが大切なんです。
人口が減っていく宇和島市は、市外、県外に売っていかなければ売り場がない。しかし、売り場へと物を送るには、それだけでコストがかかってしまう。ひとりだと、契約もできない、何をしていいかもわからない、アイデアも術もない。だからまとまってやる。友達と話しながら、同じ悩みを共有し合えるのも大事でしょ。ゆるい付き合いだけれど、ぼくたちは個々の長所を生かし合い、お互いが成長し合えるグループであれたらと思うんです。
新たに「MIMAMENブラザーズ」という、ぼくたちよりも若いグループも結成しました。年とともに廃れていくのではなく、仕組みや思いはかたちに残して、新しく、若い人たちの発想で次世代に繋げていけたらと。方針に捕らわれないぼくたちなら、コピーもできるし新しいことにも挑戦できる。メンバーそれぞれの目が輝いていることが大切なんです。

ぼくたちが楽しくすること
ぼくたちが楽しそうにしていたら、農業自体が楽しそうに見えませんか。
倉庫で雑談をしたり、笑顔で農作業したりするぼくたちの姿を、登下校中の小学生たちに、あのおっちゃんら楽しそうだなと思ってもらえるなら。そうして記憶の片隅に残ってもらえたら。若い人たちが都会に出て、疲れて帰ってきた、そんなときに、「そういえば、MIMAMEN FARMER'Sっていう団体があったな。頼ってみようかな」と。そんなふうに頼ってもらえる場所になれたらいいんです。そして、逆にぼくたちが、おじいさんになったら、若い人たちに助けてもらいたいな。頼られたいし、頼りたいんです。
倉庫で雑談をしたり、笑顔で農作業したりするぼくたちの姿を、登下校中の小学生たちに、あのおっちゃんら楽しそうだなと思ってもらえるなら。そうして記憶の片隅に残ってもらえたら。若い人たちが都会に出て、疲れて帰ってきた、そんなときに、「そういえば、MIMAMEN FARMER'Sっていう団体があったな。頼ってみようかな」と。そんなふうに頼ってもらえる場所になれたらいいんです。そして、逆にぼくたちが、おじいさんになったら、若い人たちに助けてもらいたいな。頼られたいし、頼りたいんです。

今日は65点。今日は赤点。うまくいかないことだらけでも…。
思い通りに野菜ができたことなんてないんです。せいぜい65点。赤点のときだってある。計画倒れで終わってしまうことだって。思い通りにいかない、そこがまた面白いのかな。でもやっぱり、思い通りにいってほしい。
MIMAMEN FARMER'Sの結成当初、宇和島の商店街で野菜販売をしていたんです。4人で半日立って、売り上げはたったの2,000円。怒られたことも鮮明に覚えています。それでもありがたいことに、だんだんとファンがつき始めました。9時オープンにもかかわらず、早くから並んでいる人たち。準備のためキャリーを下ろそうとしたら、急かすように手伝ってくれたおばあちゃん。8時40分でも、「今日は遅かったね」。
ぼくたちを必要としてくれる人たちがいてくれることのうれしさを、ぼくたちは初めて知りました。
MIMAMEN FARMER'Sの結成当初、宇和島の商店街で野菜販売をしていたんです。4人で半日立って、売り上げはたったの2,000円。怒られたことも鮮明に覚えています。それでもありがたいことに、だんだんとファンがつき始めました。9時オープンにもかかわらず、早くから並んでいる人たち。準備のためキャリーを下ろそうとしたら、急かすように手伝ってくれたおばあちゃん。8時40分でも、「今日は遅かったね」。
ぼくたちを必要としてくれる人たちがいてくれることのうれしさを、ぼくたちは初めて知りました。

ぎりぎりまで足掻こうかな
農家の中で、40代半ばのぼくたちは若手にあたります。そんなぼくらの背中を押してくれる人たちがいます。高速道路から見える、務田付近のセイタカアワダチソウは年々増え、農業の担い手不足や高齢化をしみじみと感じるんです。40、50年と経てば、三間の農地は荒れていくのかもしれません。でも、生まれ育ったこの町が廃れていくのを、ただただ眺めているのは嫌だから。ぼくたちがやらなきゃ。応援してくれる人たちのために、地域のために、ぼくたちはやめられない。だから、ぎりぎりまで足掻こうかなって思うんです。
