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宇和島の人~吉田 陽次 さん

記事ID:0095115 更新日:2023年11月28日更新 印刷ページ表示
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芸術文化の拠り所

べにばら画廊 店長

吉田 陽次 さん

 

Profileプロフィール

 1957年(昭和32年)「べにばら」(文具店)の次男として誕生。宇和島東高校を経て、東京の大学に進学。進取の気風に富み、愛媛県で初の画廊、および画材・額縁取扱店に営業転換していた父の稔さんが在学中に他界。卒業後、東京・銀座の画廊に2年間勤務したのち帰郷し、母親と共に「べにばら画廊」の営業に携わってきました。現在は、店の将来を担う姪御さんを補佐し、店長を務められています。

さあ気軽にどうぞ
 べにばら画廊は、駅から商店街を抜け、仕出し屋さんを右に曲がった木屋旅館の並び、堀端通りにあります。レトロな佇まいのお店の入り口にはドアがなく「さあ気軽にどうぞ」という雰囲気。中をのぞくと、多種多様な絵の具や筆などの画材。そしてたくさんの絵画が掛けられています。奥には店長の吉田さん。
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宇和島の芸術と共に歩む
 南予美術展を知っていますか? 1951年に第1回が開催され、地域の美術展としては愛媛県下で最も歴史ある美術展です。アンデパンダン(無審査・無褒賞・自由出品)の気楽で開かれた美術展として地域の芸術文化の中心となっています。この美術展には、第1回より吉田さんの父 稔さんが協力。現在は吉田さんが委員として運営・展示作業を行うなど深い関わりがあります。また、本市出身の画家・浜田泰介氏とも親交があり、市内の公的施設で4回開催された浜田氏の展覧会の際には、設営展示を担われています。ほかにも、市の文化事業に関して相談を受け、協力をされています。
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個性的で魅力のある人 それが宇和島の魅力
 お店と共に宇和島の芸術文化を支えてきた吉田さん。宇和島の魅力を『人』だと話していました。「幕末から明治には四賢侯と謳われた伊達宗城侯が在って、シーボルトやその娘・楠本イネ、高野長英、大村益次郎(村田蔵六)などが、当市と深いかかわりを持ちました。私が生まれ育った昭和にあっては、何か一分野において博識であり、個性豊かな人が複数いて、その魅力にひかれて、司馬遼太郎、吉村昭など文化人が当地を度々訪れています。しかし、いつしか、そういった個性的で魅力ある人々が少なくなってしまったように感じます。外から人が集まって来るのは、名所旧跡・名物料理だけではなく、根本は「人」なのかなと。個性的な魅力ある人がこれからもどんどん出てきてほしいですね」
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これまでも これからも 芸術文化の拠り所であるように
 「初めてのお客さんが、恐る恐る『入ってもいいですか...?』と言われることがあるんですよね。そんなに敷居高くないですよ。表、開けっ放しだし。もっと気軽に見て行ってくだされば。普段何気なく音楽を聴くように、美術が特別なものではなく、暮らしの一部であるように自然な存在にしたいものです。
 現在、看板娘の姪が宇和島圏域で芸術活動をしている作家を全国、さらには世界に紹介しようと頑張って動いています。何より若い芸術家を育てたいですね。高齢者の仲間入りをしましたが、気分はまだまだ若い。少しでもそのサポートができればと考えています」そう語る吉田さんの眼差しはやさしい。
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​取材(令和5年1月23日):文化・スポーツ課 前田

 

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