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宇和島の若手事業家3名が語る「生き方・働き方から見た宇和島の魅力」|市民説明会レポート 後編
みんなで創る、うわじまシティブランディング事業。宇和島のブランドを “ALL宇和島” で創り育てていくための第一歩として、6月26日(水曜日)に市民説明会を実施しました。
市民説明会では、「生き方・働き方から見た宇和島の魅力とは」と題してパネルディスカッションを行いました。パネリストとして、宇和島市にUターンされた若手事業家の3名、柑橘ソムリエ愛媛理事長 二宮新治氏、一般社団法人ヒメセカ代表 入江あゆみ氏、井伊商店三代目店主 井伊友博氏にご登壇いただきました。コメンテーターはブランディングチームのメンバーである株式会社NINO 二宮代表、モデレーターはうわじまシティブランディング事業受託事業者の株式会社コトヴィア 荻原代表が勤めました。
本記事では引き続き、パネルディスカッションの後編をご紹介します。
>>前半の記事はこちら
荻原)パネリストの3名は皆さん、1度宇和島の外に出られてUターンで戻られたということと、それぞれが情報発信に注力されている点が共通しています。井伊さんも、さすが建築の分野にいらっしゃった方だなと思いますが、Instagramの写真が本当に美しいんです。入江さんもヒメセカで情報発信をされておられますし、新治さんのほうもいろいろなイベントやクラウドファンディングと情報発信をされておられます。
ここで二宮敏さん(以後、敏さん)にコメントをいただきたいと思いますが、3名のお話を伺って、情報発信やブランディングの視点で見た時にどのような感想を持たれますか?
NINO二宮敏代表によるプレゼンテーション(道後オンセナート、シン・エヒメ、玉津柑橘倶楽部のプロモーション事例紹介)
二宮敏)はい。…なんだか評論家みたいになってる(笑)。ブランディングという視点では、今皆さんがされていること自体がそういう業界の言葉でいうと「セルフブランディング」と呼ばれることだと思います。逆に僕もお伺いしたいのですが、例えば僕らが「ブランディング」をするときは、誰かにお願いをされたり、手伝わせてもらって作るじゃないですか。それを「雰囲気を作ることが大事」と先ほどお伝えしたんですけれども。みなさんは、それを誰かから頼まれてもいないのに、高いモチベーションをもってやっている。頼まれてないじゃないですか、だって。
二宮新)頼まれたことないです。
二宮敏)そうですよね。入江さんもそうだと思います。井伊さんは使命感もありながらも、さっき荻原さんが言われていたInstagramで発信されている。別に頼まれてもいないのに皆さんされるわけじゃないですか。それってどういうところからモチベーションが湧きますか?それが僕は知りたいです。
二宮新)なんでしょうね。…ある時、柑橘ソムリエの活動を始めてしばらく経った頃に、自分たちの暮らしは他の人と比べて変わっているんだなと思ったんです。でも、自分の暮らしのことって皆さん「普通」だと思うというか、僕もそうでしたが、あまり気づかないじゃないですか。
インターンで東京の大学生の受け入れをした時に、東京の子が3〜4人、1カ月間宇和島に住むことになったんです。大学生が来ても特別なこともないし、僕、どうしようかなと思って(笑)。そこで、開き直って僕らの日常に勝手に連れまわそうと思いました。みかん畑に行ったりとか、釣りをして魚を食べたりとか、いつも通っているうどん屋に行ったりとか。それらが特別におもしろいと思って連れて行っていないんですけれども、彼らはすごくおもしろがるんです。
写真をバンバン撮って、「やばい、やばい」みたいなことばっかり言うんですね(笑)。彼らを見ていると、「そうか、僕らにとって本当に普通のことが、東京の大学生にとってはすごい特別な生活なんだな」って気づいたんです。東京のイベントとかでもたまに言っているんですが、東京に行ったら芸能人よりみかん農家のほうが絶対に珍しいんです(会場笑)。だから、そう思って、開き直って自分たちの日常とかみかんのことを発信しています。
二宮敏)やばいですね。
二宮新)やばいでしょう。
井伊)僕のモチベーションの維持みたいなところで言うと、やっぱり食べてもらって「おいしい」と言ってもらえることが、すごく気持ちいいんです。もちろん、宇和島の方は普段から言ってくださってます。ただ、市外の方や県外の方に言ってもらう機会って、テレビや雑誌に出た時なんです。特に、小中高校まで一緒だったけど首都圏に出て行って疎遠になった友だちから「テレビ見たぞ」とか連絡があったときはすごくテンションが上がって、うきうきする。そういうことが自分のモチベーションになっているんだと思います。
先ほど荻原さんからInstagramの写真についてお話しがあったので、Instagramやられている方とかおられたら、手法としてご参考になればと思うので紹介させてください。去年、クリス・ウェブ佳子さんという女性誌『VERY』の専属モデルの方が、アメリカ人のカメラマンと一緒にうちに取材に来られました。この取材が決まったのは、取材の二日前なんです。しかもご本人からInstagramのメッセージから「急にすみません」「明後日行っていいですか」と、連絡がきました。その時にアメリカ人のカメラマンさんが言われていたのが、宇和島に取材に行くことが決まってから、まず「#宇和島」で検索をしたということだったんです。
僕は、井伊商店のInstagram投稿には必ず「#宇和島」を入れています。「#宇和島」で検索されていた2人に、写真がキレイということでうちの投稿が目にとまり、取材に来てくれました。都会の人とか首都圏の人は、田舎の情報を求めていると佳子さんも言っていました。なので、Instagramでもそういう風に情報発信をしていれば、いつかテレビや雑誌関係者が来てくれることもあるかもしれません。自分の会社や商品の魅力を発信している方は、一つの手法としてやってもらえたら、宇和島の魅力の発信にもつながるかなと思います。
これは、去年出た本です。井伊商店以外にも、宇和島のお醤油やさんや凸凹神社とか、宇和島のちょっと変わったところというか、あまり人が行かないようなところが紹介されていますので、ぜひ見てもらえたらと思います。
入江)私は、「祖父に会いたい」というのがモチベーションです。先ほどヒメセカを立ち上げた時のことをお伝えしましたが、実は裏事情がありまして。私が当時カンボジアでヒメセカを立ち上げる前に、大好きな祖父が倒れたんです。私はおじいちゃん、おばあちゃん子だったので、毎月カンボジアから愛媛に帰ってきていました。
そんな生活を半年くらいしたときに「こんなに帰るんだったら、もっと宇和島に帰る目的を持ちたいな」と思って、それでできたのがヒメセカという…。ちょっと私のわがままでできた部分もあるんですけど(笑)。でも、ヒメセカを続ければ大好きな家族に会えるし、最近はこういった場に呼んでもらうことも多くなったので、「こんなことに呼んでもらえたよ」ということをちゃんと家族に伝えられるのもうれしい。それが宇和島だったらよりうれしいです。
ヒメセカの松野町イベント。みきゃんも参戦。
二宮敏)今お話しをうかがっていて、誰か見えない人に対して発信するのではなくて、目の人とか、身近な人に向かってコミュニケーションをとる中で、それが情報として出ていっているんですよね。業界的に言うと、昔は不特定多数に対してマーケティングというのを行って、戦略を立てて広告や情報を出していたんです。
でも今って、不特定多数から特定少数にターゲットが変わっていて。要は、自分が届けたい人に確実にアクションを起こしていくと、情報が広がっていくという流れがあります。なので、今自分たちがその高いモチベーションを持って目の前の人に届けていることが広がっていって、思わぬところにつながったりしているんだなというのを、直接聞いて実感しました。ありがとうございます。
荻原)誰に届けたいということとか、ご自身のありのままを素直にそのままに生きていらっしゃることが、そのまま魅力として見られているんだろうなと思いました。最後に、外に出たからこそ気づいた宇和島の魅力を、ぜひ皆さんからお聞かせいただきたいなと思います。
井伊)人だとは思うんです。海とか山とか川とか、もちろんそれも魅力だと思うんですけど、それって意外と日本全国どこでもあります。私としては、味噌屋として仕事をしているので、「人の横のつながり」です。
おいしいものを食べたら「このお店の何々がおいしかったよ」って言いたくなりませんか?そして言われた方は今度行きたくなったりする。うちのお味噌に例えるなら、「あそこの商品を通販で食べたけど、すごくよかったけ、今度買ってみぃ」とか。宇和島の人って、自分の気に入ったものを横に紹介してくれる人が多いと思います。
しかも、それを直接本人から聞くのではなくて、「あの人が勧めとったよ」と又聞きみたいに聞かされたりするのもすごくうれしい。そういった、人との関係が宇和島ならではかなと思います。宇和島だからこそ、横のつながりを強く感じながら商売ができていると思っています。
二宮新)さっき少し話したこととつながるんですけれど。僕も1回宇和島を出て10年間京都にいて、宇和島に帰ってきて、その後またいろいろな都会の人とも触れ合ったりとかして、自分が変わっているということに気がついたり、自分の世の中での立ち位置がすごく少数派だったということに気がついたりしています。
今になって大事だなと思うんですが、僕の場合、京都にいた時にすごく宇和島が恋しかったんです。でも遠く離れているし、洋服屋で働いていたので、休みが週に1回で連休がない。正月は休みでしたけど、人が休んでいるときは忙しい仕事だったので、帰りたいけど帰れない。当時、宇和島出身のミュージシャンが活躍していたらそれにスゴイテンションが上がったりとか、「あそこの料理屋、宇和島の人がやっているらしいよ」と聞いたら喜んで行ったりとか。そんな日々をずっと送っていました。
宇和島の実家は海のそばにあるんですが、京都にいたときは海が恋しかった。バイクに乗って2時間半ぐらいかけて、日本海側の舞鶴のほうまで1人で行ったりもしました。帰りに牛丼を食べて帰るだけなんですけれども(会場笑)。
今思うと、なにか哀愁とか郷愁みたいなものがすごくつのった期間があったから、今自分が田舎でみかん農家をするということに満足しているというか。僕は都会に出なかったらたぶんダメでしたね。ごくごく普通の、中の下くらいの農家で終わってたんじゃないかなと思います。ホントに冗談抜きで。僕、若い時は本当にフラフラしていたので。
こうやって発信することも、たぶん都会にいる若者たち、宇和島出身の人たちが見たら、「うわ、宇和島やばいな」みたいに絶対になると思う。だから、その郷愁みたいなものや、こういう時間が大事なんじゃないでしょうか。
入江)宇和島の魅力は、ひとりひとりがリーダー気質ってことなんじゃないかなと思っています。私はこれまで30カ国以上を旅をしてきて、色々な国の愛媛県人会にも参加しました。愛媛県人会に行った中で思い入れがあったのがミャンマーと台湾の愛媛県人会だったのですが、ふたつとも宇和島出身の方がリーダーみたいな感じで率いていました。
「どうしてだろう?」と思って考えたときに、「リーダー」の種類として、周りをきちんと巻き込める、オープンマインドな人が多いんじゃないかなと思ったんです。私自身、ミャンマーも台湾も知り合いもいない中で「愛媛県人会に行きたいです」といきなり連絡をしたんですが、行った時には私のために会を開いてくれたり、「(ヒメセカのことを)こんなんやりよるんや。応援するね」と言ってくれたり…。先頭でみんなを引っ張って、後ろからも支えて、みたいなことが出来る人達がいるところが宇和島の魅力かなと思いました。
荻原)ありがとうございます。皆さん共通して、「人」とか、心に響いた経験とか、自分が子どもの時に感じた人とのつながりを思い出したりとか…。そういったことで故郷に帰りたいと思ったり。あらためて外に出た時に宇和島の魅力ってそういうところだったんだなと、私も思いました。敏さんは、宇和島の魅力はどこにあると思われますか?
二宮敏)僕は歴史好きで、昔から宇和島の伊達家が好きでよく宇和島にも来ていました。僕は宇和町出身ですが、宇和島にも友だちがたくさんいて、友だちがすることの一挙手一投足が楽しみで。それを自分たちで楽しんでやっているという感じを見るのが好きというか…。だから俯瞰して魅力を言える立場ではないんですね。でも皆さんがそれぞれのアクション起こしている感じとか、その人たちと話すことが僕にとっては楽しみです。魅力というか、楽しみですね。
荻原)ありがとうございます。「魅力」というと作るものだと思われるかもしれませんが、実は本当にたくさん眠っていて。私たち宇和島出身が気づかないことも外から見た時に魅力に見えるというものがあると思うんです。昔のように新聞とかテレビとかで情報発信していた時代とは違って、いつでもどこでも共感できる情報を見つけることができる世の中になってきています。だから、宇和島のありのままの情報を出し続けることが、実は「好き」とか「共感できる」とか「こんな素敵なところが日本にあるんだ」という気づきにつながったりするのではないかなと思います。
宇和島の印象調査について、市内外の方にアンケートを行わせていただいて、1度宇和島に来たことがある方は、人との触れ合いがすごくいい思い出で、幸せに感じて、「また来たい」と思ってくださっているということが分かったんです。皆さんにとっては当たり前だと思う挨拶、「よういらっしゃった」とか「また来さいや」というその一言が、都会の人にとって見たら言われたことのない言葉だったりするわけです。そういった声をかけてもらったり、優しいお迎えをしてもらったという記憶が、魅力となって積み上がっていくのではないかなと思います。
最後に、将来宇和島がどんな町であってほしいか、同世代、次世代へのメッセージを一言ずつお伝えいただいて、この会を終了したいと思います。新治さんから、よろしくお願いします。
二宮新)僕は、宇和島が「一流のモノがある町」になれればいいなと思うんです。たぶん人間って、本当にいいモノ、一流のモノに触れたいじゃないですか。それは自然であったり、食べ物であったり様々です。宇和島はおそらく、自然と食べ物は全国で見てもすごく一流のモノがあると思います。例えば、食材としてはみかん、魚、真珠もそうです。それは、今後時代が変わっていっても守らないといけないと思っています。
一方で、例えばサービス業みたいな部分では、一流ってすごく少ないと思うんです。僕は京都にいたので、京都はやはりサービス業が一流の町だなと思っていて。宇和島に帰った時に、それが寂しかったんです。接客ひとつとっても、本当に真剣に、一期一会を大切にしているところもあまり感じられない。
だから、宇和島にも一流のモノはすでにいくつもあるけれども、サービス業的な部分でも一流の町になっていきたい。僕は、宇和島にすごくいいゲストハウスとか、B級グルメじゃない料理店、ちゃんと食材を生かして、プロの手で作るお店があればもっといいのになと思っています。サービス業の話、僕は完全に畑違いなんですけど、僕たちは僕たちで一流のみかんを作り続けていく。愛媛県内のどこでもない、八幡浜でもないし、和歌山とか静岡でもない、そういうところに負けないものを作り続けないといけないというのもありますね。
入江)私は、宇和島に「あたたかい人であふれる町」であり続けてほしいなと思っています。私自身、去年カンボジアから日本に帰国して、宇和島は本当に友だちがいなくて。でも、帰国後1年半で、今この場所にはすでにお世話になっている方もいらっしゃってます。1年半でこれだけ人間関係がきちんと築けているというのは、やっぱり宇和島の人のあたたかさとか、オープンマインドさだと思っています。なので、外の人たちにもあたたかい宇和島であってほしいなと思います。
もう1つ。私は二拠点生活という働き方をしていて、それを「リモートワーカー」といいます。ちょうど来月、リモートワーカー専門のメディアを立ち上げることにしました。宇和島でリモートワークって、実はすごく仕事がしやすいんです。
今ライターという仕事をしているんですけれども、これは家でできるし、東京でも宇和島でもできる仕事。その特性もあって、インターネットがあれば仕事ができるという生活をしています。そんな方々にもっと宇和島に来てほしいなと思っています。将来的には、リモートワーカーをするために1週間とか2週間とか宇和島においでよ、みたいなツアーとかを企画できればと思っています。
ヒメセカBBQイベント
井伊)宇和島のまちに、人に、こうあってほしいと思うこと…。先ほど新治さんも言われたように、宇和島は、柑橘、魚とか真珠、じゃこ天も有名です。良いものはまだいっぱいありますし、まだ気づかれていないものもあると思います。ただ、その「気づかれていないもの」なんかは特にそうですが、自分の商品に対して自信を持っていない人もいます。もっと、自分がしている仕事とか、自分が作っている商品に自信を持ってほしい。同世代の人たちに伝えたい。
こういうとすごくおこがましいんですけれども、参考になる年配の人って、宇和島にはすごくたくさんいらっしゃいます。僕も、父とじいちゃんはすごく尊敬していますし、友人のお父さんとかにも刺激をもらっています。なので、親やじいちゃんの世代からのいろいろな知恵をもらって、もっと自分に自信をつけて、もっとそれをパワーにして発信していくと、もっと宇和島がにぎやかな町になるかなと思います。
荻原)今日こちらの会場にお越しいただいた皆さん、こういった思いを持たれた若いお三方をぜひ応援していっていただければうれしいなと思いますし、なるべく多くの皆さまにご参加いただきながら、宇和島を盛り上げて行けたらと思います。引き続き、うわじまシティブランディング事業へご協力をよろしくお願いします。本日は誠にありがとうございました。