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宇和島の人~山本 裕二さん

「帰って来ぉーい」に応えて
有限会社山本建設 代表取締役
山本 裕二 さん
Profileプロフィール
宇和島市出身。大学で建築を専攻し、ゼネコンで施工管理を経験して帰郷。父と叔父たちが築いた材木運搬業と解体業を継ぎ、有限会社 山本建設の二代目として、地域に根ざした事業を展開しています。
安全管理と徹底した分別を信条に、狭小地や難所の家屋解体にも対応し、社員と共に地域の暮らしを支えています。
父と叔父が築いたオート三輪の時代から続く建築への想い
父たちは、かつての「マツダのオート三輪」で材木を運んでいました。まだ2tトラックが普及していない時代、小さな三輪トラックで宇和島の細い町道を縫うように走り、製材所や大工さんへ材木を届けていたそうです。
やがて「家を解体してほしい」といった依頼が舞い込むようになり、材木運搬に加えて廃材の引き取りや小規模な解体作業も請け負うようになったことが転機となりました。こうして運搬業から解体業へと自然とシフトしていきました。
父たちの「オート三輪」が紡いだ仕事を二代目として受け継ぎ、現在は家屋解体と分別を専門に取り組んでいます。
やがて「家を解体してほしい」といった依頼が舞い込むようになり、材木運搬に加えて廃材の引き取りや小規模な解体作業も請け負うようになったことが転機となりました。こうして運搬業から解体業へと自然とシフトしていきました。
父たちの「オート三輪」が紡いだ仕事を二代目として受け継ぎ、現在は家屋解体と分別を専門に取り組んでいます。

ゼネコン勤務からの転機
父の一声「帰って来ぉーい」で宇和島へ
父の一声「帰って来ぉーい」で宇和島へ
長男ということもあり、「とりあえず外の飯を食ってこい」と父に言われて、大学は広島で建築学を専攻しました。卒業後はゼネコンに入社し、都市部で約4年間、新築マンション建設の施工管理に携わりました。
そんな折、実家から「帰って来ぉーい」と声がかかりました。元の事務所がバイパス工事で立ち退きとなり、新しい事務所を建てるというのです。それがUターンのきっかけになりました。
地元に帰ってからは、ゼネコンで培った経験を生かして、新事務所の施工管理を任されました。それが、宇和島に戻って最初に手がけた仕事です。
そんな折、実家から「帰って来ぉーい」と声がかかりました。元の事務所がバイパス工事で立ち退きとなり、新しい事務所を建てるというのです。それがUターンのきっかけになりました。
地元に帰ってからは、ゼネコンで培った経験を生かして、新事務所の施工管理を任されました。それが、宇和島に戻って最初に手がけた仕事です。

妻が笑う「8台」の誇りと
小さな相棒
小さな相棒
子どもの頃は、お小遣い欲しさに休みのたびに、廃材運びを手伝いました。妻は「1日に2tトラック8台分もやったと、今でも自慢げに言うんですよ」と笑います。
宇和島は、九島や石応のように重機が入れない現場も多いです。記憶に残っているのは、一輪車 (ねこ車) しか通れない狭い道幅で、距離100m以上の現場。「重機が使えたら、もっと楽になるのに」という思いから、狭い路地でも活躍できる小型重機を導入しました。今ではどんな現場でも頼りになる“小さな相棒”です。
宇和島は、九島や石応のように重機が入れない現場も多いです。記憶に残っているのは、一輪車 (ねこ車) しか通れない狭い道幅で、距離100m以上の現場。「重機が使えたら、もっと楽になるのに」という思いから、狭い路地でも活躍できる小型重機を導入しました。今ではどんな現場でも頼りになる“小さな相棒”です。

安全に、丁寧に。次の世代へ問題を先送りしないために
解体と聞くと「壊れた家の方が安い」と誤解されがちですが、実際はその逆です。傷んだ建物ほど分別が難しく、安全な作業ができないため、追加の足場や手作業が増えたりと、かえって費用がかさみます。古い家に思い出が詰まっていることはよく分かります。それでも、家はいつか壊れるものです。「自分がやらなかったら、次は子どもや親戚に負担がかかってしまう」。だからこそ問題を先送りにせず、安全に解体することが残される世代への責任だと思います。壊れた家の解体は手作業が増え危険を伴いますが、長年のノウハウを活かし、細やかな注意を払いながら作業します。
社員には家族があり、一日の業務を責任を持って終えられること、すべての人が無事に帰宅できることを何より大切にしています。
社員には家族があり、一日の業務を責任を持って終えられること、すべての人が無事に帰宅できることを何より大切にしています。


