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先日、生まれ故郷の島根県出雲地区で「スローライフ・フォーラムin出雲の国」が開催され、わが故郷のスローライフ振りを客観的に味わい、再考してみようと、帰省がてら参加させて頂いた。フォーラムだけでなく、1泊2日で地元の歴史・文化を探るツアーも企画されていたので、全行程ご一緒させて頂いた結果、意外な発見や感動で、スローライフな地元への愛が一層深まるいい機会となった。
日本では2006年6月に「ゆっくり、ゆったり、ゆたか」な社会を目指して、私が尊敬するジャーナリスト故筑紫哲也氏を初代会長に(現会長は増田寛也氏)、神野直彦氏(日本社会事業大学学長)を学長として「スローライフ学会」が発足した。「結果だけでなく過程を楽しむ。地域の自然・歴史・伝統・文化を大切にして暮らす。感性を磨き、みずみずしい人間関係を取り戻す。こうした価値観の変化は、新しい暮らし方をつくりあげる。」と推進団体の設立主旨には書かれてある。
また、「スローライフ」を単なる個人のライフスタイルのレベルに留めず、地域活性の目標と手法に活かすという運動へと展開されていることもあり、今回のフォーラムも地域活性で活躍されている方や、自治体の方が多く参加されていた。
「スローライフ」と言えば、単純に「田舎暮らし」を連想してしまうところがないだろうか?
私が18歳の時、その“スローライフ”が退屈で、窮屈で、都会の刺激と自由にあこがれて、何の未練も無く田舎から“脱出”した。ところが、人生晩年になってみると両方の良さをいい塩梅にミックスして味わえないものだろうかと“うまい話”を考えるようになる。
実家で過ごしていると、360度緑の山々、美味しい空気、裏の畑で採れる滋味豊かな野菜と昔ながらの母の手料理、緩やかな時間の流れがあって、心身とも和んでいくのが感じられる。人間本来の生命のリズムはこのように“ゆるい”ことも好み、心地よくエネルギーを充電できる。(毎日、商売で忙しく働いている実家の家族は、果たしてそれをどこまで味わいながら暮らしているかどうかは疑問だが・・・。)
ところが、田舎暮らしは確かに心地良いのだが、車の運転が出来ない私は、忽ち行動範囲が狭くなり自由がきかなくなる。私の様なものにとっては、都会生活は至って便利で、元気でさえいれば、いつでも見たいものを見、したいことをし、会いたい人に会い、自由闊達な暮らしを自分でプロデュースできる。さらに仕事を持たなくなれば、時間的ゆとりもぐんと増し、ゆったりと、自分のペースで豊かに暮らしていける。
「ゆっくり、ゆったり、ゆたか」なスローライフはどこにいようと、自分の心の声に耳を傾け、自分が笑顔で暮らせるように、自分で創りだすものなのかな!?