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令和4年度 宇和島伊達家コレクション展1「宗城交遊録―水戸徳川家とのつながり―」

印刷用ページを表示する 記事ID:0059127 更新日:2022年7月1日更新

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 宇和島藩8代藩主伊達宗城に関連する資料からは、宗城が著名な人物と交流していた様子がうかがえます。土佐藩山内豊信、福井藩松平慶永、薩摩藩島津斉彬とともに「幕末の四賢侯」と称された宗城。当時の政局に深く関わっていたため、政治の中枢で活躍していた名士たちと交わした書簡類が数多く残されています。

 本展では宇和島藩8代藩主伊達宗城と水戸徳川家の繋がりを示す資料を展示します。水戸藩9代藩主徳川斉昭や徳川幕府15代将軍徳川慶喜とゆかりのある品々を通じ、どのような関係を築いていたのかを御紹介します。

 

 

第1展示室: 宗城と斉昭

 宇和島藩8代藩主伊達宗城は水戸藩9代藩主徳川斉昭と親交が深く、そのことを示す資料が、宇和島伊達家には多く残っています。そして、その関係性は宇和島藩7代藩主伊達宗紀より続いているものでした。

 ここでは、斉昭にゆかりのある品々を展示するとともに、両家がどのような関係を築いていたのかを御紹介します。

大日本史徳川斉昭
水府兵粮丸
 

第2展示室: 水戸徳川家の人々と家臣

 斉昭だけでなく、他の水戸徳川家や家臣の人々とも交流がありました。

 天保10(1839)年、斉昭の長女・賢姫と宗城の婚約が成立します。しかし、病により賢姫が急死。実際の婚姻関係には結びつかなかったものの、以降も両家の親密な関係は続きました。また、斉昭の子であり、徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜とは政治面での接点が多く、国事を議する場において度々席を共にしています。

 ここでは、賢姫・慶喜・水戸藩11代藩主徳川昭武や水戸藩士武田耕雲斎・藤田東湖に関する資料を展示します。

一橋慶喜書状
水戸公姫

第3展示室: 幕末の美

  宗城らが活躍していた幕末の激動期。ペリーが来航したことで「攘夷」「開国」といった様々な考えや主張が唱えられ、意見が異なる者同士で血を流すような争いが起き、日本中が混迷を極めていました。しかし、そのようなさなかでも、変わらず美しいものは生まれ続けていたのです。

 ここでは、同時期に制作された調度品や活躍した絵師の作品、作刀された刀剣類などを御覧いただきます。

 

松に鶴図

 

脇差 国房

令和4年度宇和島伊達家コレクション展1.チラシ [PDFファイル/223KB]

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